桜ふたたび 前編

3、卯の花曇り

『Pass the dead line(時間だ)』

大阪駅を見下ろす重厚な社長室、ソファーから太刀風のように離れる男に、老将の風格をもつ白髪混じりの男は、怒りに燃えた痩けた顔を頑なに横向けている。

「ハゲタカがぁ」

憎しみの捨て台詞にも、背を向けた男は眉ひとつ動かさない。
終決のドアの音に、後ろに続いた柏木崇史は老人を哀れむように中礼した。

ハゲタカ──。

固陋な人間ほど、彼をそう謗る。己がいつまでも若いと思い込み、プライドと権力にしがみつく彼らは、すでに老害でしかない。

しかし、彼らの過去の功績に一分も斟酌しない彼は、非情というより冷血だ。

徹底した営利主義者で、利益を生まないと判断すれば、いかなるものも即座に切り捨てる。端麗な容姿からは想像もよらない打算と合理で、彼の思考の根幹は占められている。

さらに彼は、A10という感情を司る神経が先天的に欠落しているのだと虚聞されるほど、情動を表に出さない。
もしもあの鉄仮面に笑いかけられでもしたら、何か禍が起こる前兆かと不気味に思うだろう。

それにしてもタフだ。
怱忙な日程にもかかわらず、まるで半永久的に働き続ける高性能コンピュータのように、淡々とシビアにスケジュールをこなしてゆく。
Time is money。京都では、相手が一分待たせただけで会食の席から消えてしまい、関係者たちを震撼させたこともあった。そんな彼に随伴する柏木の方が、心労からよほど疲弊していた。

──それもあと一件だ。ようやく東京へ帰れる。今夜は妻とかわいい息子の待つ我が家でぐっすり眠れる。

そんなわずかな気の弛みが、彼を窮地に陥れることになろうとは、誰が予見できただろうか。
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