桜ふたたび 前編
「あああっ‼」
思わず跳び上がるほどの声に、川辺に休む番の鴨が騒がしい声を上げながら羽ばたき、小波が立って、花の浮き橋を散り散りにしてしまった。
「見うしのうてしもた〜」
千世は地団駄を踏むと、眉をルの字に歪め、ほんとうに無念そうに長息する。
澪は半ば同情、半ば安堵の笑顔で、再び千世を促して歩きはじめた。
千世はなおも未練がましく、何度も何度も前屈みになったりのけぞったりして振り返り、ついには──
「ちょっと戻ってみようかな? あそこの切り通しに、入らはったんかもしれへんし」
澪は焦った。この調子だと本気で後を追いそうだ。
25歳を過ぎてもまだ、〝白馬の王子様との運命の赤い糸〞を信じてやまないロマンチック症候群にとって、このシチュエーションでの出会いは、ドラマティックな恋の幕開け。
きっと今、千世の頭の中では、キューピットがラッパを吹き鳴らしている。これが少女マンガなら、瞳にキラキラとハートマークを飛ばせていることだろう。
「彼氏に、悪いよ?」
「あんなん、もう別れたわ」
「え?」と、向けた顔に、さほど驚きはない。
惚れっぽい千世は、熱が冷めるのも、また早い。あっという間に恋に落ち、好きになったら猪突猛進、盲目的な分、些細なことで(本人にとっては重大事らしいけど……)夢から覚めたように関心を失ってしまう。
その恋愛体質は、中学時代から変わらない。
〈好きな人を追いかけている自分自身に恋をしているのかな?〉とさえ、澪には映っていた。
「あいつな、二股掛けててん」
「ええっ?」
とたん、腕を引き寄せられた。危うく配達中のバイクに轢かれるところだった。
「あ、ありがと……」
千世は口と鼻とを袂で覆い、今にも噛みつきそうな目つきで、花びらを舞い上げて遠ざかる狼藉者を睨みつけている。
「この石畳は車道だから、交通の邪魔をしているのはこっちの方」
と思っていても、口には出せない澪だった。