桜ふたたび 前編
仄暗い英国調のクラシカルラウンジバーに、オールドジャズのピアノの調べが静かに流れている。
店内は、多国籍なビジネスマンや旅行客でカウンター席まで埋まっていて、ささめく客の声がときおり大きくなったり笑い声に変わったり。白いテーブルランプに浮かぶ顔は誰もが愉しげだ。

そして、澪の前では──スコッチグラスの氷を揺らす美しい顔が、やわらかな眼差しを向けていた。

澪はこれまで、ジェイを笑わない人だと思っていた。
高台寺を案内したときはサングラスをかけていたこともあったけど、先斗町でも彫刻のように表情が動かなかった。

だからといって、AIでもない限り感情は持っているはず。きっと、彼のようにやんごとなきお方は、喜怒哀楽を表に出さないように、自制しているのだろう。

でも、今夜の彼は笑っている。

レストランではシェフの話に気さくに応じていたし、自ら冗談を言って、(冗談もさらりと言うから、笑うところかどうか真剣に悩む澪を)愉快そうに声を立てて笑っていた。

きっと彼は、忙しすぎるのだ。
歩くのが速いのも、ムダのない段取りも、答えが〈イエスかノーか〉しかないのも、笑う余裕すらないほど、時間に追われているせい。

それに、澪は気づいてしまった。彼の瞳の色は感情を反映するのだと。
今の瞳は、やさしい月白(げっぱく)
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