桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀


「澪」

澪は、眩し気に瞼を開いた。
深い眠りに入る寸前に揺り起こされ、自分が今、どこにいるのかさえ定かではない。

ゆらゆらと車を降り、背後に車の行方を捜したのも、テールライトが〈ゴ・メ・ン〉と三回点滅したのも、夢の続きのよう。
澪は腕を引かれるまま、市場へ牽かれる仔牛のように歩いていた。

真夜中の高級ホテル、誰もが息を潜めるように寝静まった廊下に、スマートロックが乾いた音を立てた。

その瞬間、こめかみに銃口を突きつけられたかのように、澪は一気に覚醒した。
目の前に、金色のルームナンバーがある。

「どうぞ──」

ジェイがドアを支えて待っている。
この扉を越えたら、後戻りはできない。
切羽詰まった感情が頭のなかを掻き乱し、がんがんと半鐘を叩き続けている。立っていることさえやっとだった。

いつまでも動こうとしない往生際の悪い背に、大きな手のひらが伸びた。
怯え顔を向ける澪に、

「そんなに警戒しなくていい。私は合意のないセックスはしない。入って、人に見られると不審だ」

ジェイはほんとうに面倒くさそうに言った。

こんなところを誰かに見られて、彼に恥をかかせたくないという気持ちは、澪も同じ。

澪は観念して、重い足を部屋へ踏み入れた。
とりあえず今は、彼の言葉を信用するしかないのだから。
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