桜ふたたび 前編
あのとき、祖母の手をもっとしっかり握っておけば、人生は違ったものになっていたのかもしれない。次に澪の手を掴んだのは、罪深い母の手だった。

残酷な手を、それでも澪ははぐれまいと懸命に握りしめていた。
ただ疎まれることがこわくて、また捨てられるのがこわくて、いつの頃からか言葉を飲み込む癖がついた。
周囲の顔色をうかがって、泣くことも怒ることもできず、親が望む良い子であろうとした。

でも、愛されたいと願えば願うほど、なぜかひとの心は遠く離れていった。

かんざしが澪を守ってくれることはなかった。優しかった祖母も十三年前に他界した。澪は祖母の葬儀さえ報されなかった。祖母のかんざしも、引き出しの奥にしまったきり、記憶の隅に置き忘れていた。

そう思うと、かんざしを拾ったジェイとの出会いには、何か意味があるのだろうか……。

風に舞った砂が頬を打った。

答えはとうに出ていた。本当は出会ったときから感じていた。
声を聴くと周りの音が耳に入らなくなる。会えると思うと心にぽっと光が灯る。見つめられるとドキドキして、それなのに目が離せない。これが〝夢のように甘く切なく幸せな気持ち〞なのだと。

だから澪はおそれていた。

〈僕を愛していたのだろうか?〉

涙を忘れた澪に、別れの日、恋人が呟いた。

切り裂くような痛みが、胸を襲った。

澪はそのとき答えられなかったのだ。
ただ寂しくて、分別もなく、流されるまま有り余る愛情を受けて、あのおそろしい出来事に直面して、愛しているのかと問われたとき、自分のなかにある寒々とした感情に気づいてしまった。

親に愛されなかった者は、ひとが愛と口にするものの定義さえ、よくわからない。
< 60 / 298 >

この作品をシェア

pagetop