桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

ダイニングルームにふくよかな匂いが漂っている。
帆立に生ハム、フレッシュキャビアの前菜。滑らかなヴィシソワーズ。そして、赤々と肉汁を滴らせるステーキ。

贅沢なインルームディナーを前に、澪はは白いバスローブの端を握りしめ、まるで供犠を捧げる修道女のように、ひたすら頭を垂れていた。

一旦は帰ると決めたのに、思い切りが悪くぐずぐずしているうちに、ゆりかもめが運休。
案内されたりんかい線の駅へ向かうつもりが、極度の方向音痴で道に迷った。
そこに急な豪雨。
歩道橋の下で雨宿りして、外へ出るタイミングを測るつもりが、相変わらずの要領の悪さで、ついには狼の群れのように吹き込んでくる雨風に、すっかり動けなくなってしまっていた。

そこに通りがかったジェイに見つかり、ホテルに連れ戻されたのだ。

ずぶ濡れのみっともない姿を晒したことも情けない。
それよりも、いくら思案しても決断できず、天候悪化を口実にまた逃げに走った自分は、もっと情けない。

結局、振り出しに戻っただけ。
感謝も謝罪も、ジェイの怒りを考えると、声を発することもできない。

「問題を整理しよう」

思いがけず平静な口調に、澪はおずおずと目を上げた。

ジェイは激しい雨を背景に、片肘をつき、顎を乗せ、もう一方の手でワインを静かにスワリングしている。

「ファクターが多いと、ゴールを見失う。いや、君の場合、答えを見たくないから、複雑にしているのか」

ジェイは独り言のように言うと、ワインを一口。
ワインについてなのか自分の言についてなのか、軽く頷き、静かにグラスを置いた。
それから改まって背筋を正すと、まっすぐに澪を見た。

「私は君が好きだ。だから君が欲しい。そして君も、私に恋愛感情をもっている」

直球で言い当てられて、澪は赤面した。
彼への恋心を自覚したのはつい先刻なのに、そう言う気持ちは相手に伝わってしまうものなのか。

「それなのに、君は本心を認めようとしない」

ジェイは自分に問うように、

「警戒心が強いのか。あるいは、恋愛にトラウマがあるのか」

そして断言した。

「君は臆病なんだ。変化を恐れ前へ進もうとしない。常に現状維持が最善だと考えている。
だから、私を受け入れて新しい関係を築くことも、拒否して今の関係を崩すことも、選択できなかった。
いや、選択から逃げた。どうあろうと元に戻れないのであれば、有耶無耶にしてしまおうと考えたのか。
しかし、帰路に着いて君は悟った。逃げたままでは私から軽蔑される。それは君にとって、最も避けたい結果だ」

見てきたような分析に、この人はテレパスなのかと、澪は本気で思った。
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