桜ふたたび 前編
澪の平穏は、続かなかった。
翌日、千世からメールで呼び出されたのだ。

忘れていたわけではない。いつだって心の隅っこに、チクチクと罪悪感はあったのに、気づかないふりをしていた。
女の友情など、あてにならないものだ。

ジェイとのことを、どうやって打ち明けよう。
いや、そもそもこの先、彼とどうにかなるものでもないし、知らぬが仏、見ぬが秘事、黙っていた方がいいのではないかしら……。

狡い。でも、彼女の逆鱗に触れて、絶交されるのは心底こわい。かと言って、このまま裏切りを隠して、彼女の目を直視できる図太さも、持ち合わせていない。

──ああ、どうしたらいいの?


❀ ❀ ❀


重たい心を引きずるように向かった珈琲店は、漆喰の壁にドーム天井、色とりどりのステンドグラスが光を映す洋館風の建物。京都ゆかりの芸術家たちの絵や筆が、静かに壁を彩っていた。

土曜の午後、クラシック音楽が流れる重厚な店内は、老若男女で満席状態だ。

「暑い、暑い」と手のひらで顔を扇ぎながら、千世は十五分遅れで現れた。

澪を見つけるなり、興奮気味に席に着くと、挨拶もなしに、また新調したブランド物のバッグから雑誌を引っ張り出して、澪のコーヒーが跳ねるほどの勢いでテーブルに置く。

「澪、これ読んだ?」

ファッションはおろか、流行に無頓着な澪が読むはずがないとわかっていて、あえて訊ねる。

首を横に振る澪に、千世はニヤリと様子ぶった笑みを浮かべ、付箋を貼ったページを開いた。
メニューも開かず、ウエイトレスに顔を向けることもなく、抹茶あんみつパフェを注文すると、お冷やのコップを口に、じっと澪の反応をうかがっている。

千世の住む山鉾町(祇園祭の鉾山保存会がある町)は猫の手も借りたい時節だろうに、祭りをほっぽり出すほどの重大事がここにあるのだろうか?
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