忘れられないよ君は―初恋だけでは終われない―

エピローグ1/3 待っていた

 亜美と別れたあと。

 丈は一人で歩いていた。

「…………」

 少し前まで。

 隣には亜美がいた。

『……丈さん』

 思い出して。

 ほんの少し、口元が緩む。

 初めて。

 名前で呼ばれた。

 ずっと。

 先生だった。

 高校生の頃から。

 大学へ入ってからも。

 何度触れても。

 どれだけ近くにいても。

 亜美にとって自分は。

 先生だった。

「…………」

 それが。

 今日。

 変わった。

     *

 始まりは。

 高校生の頃。

 亜美は。

 分からないことがあると。

 丈に聞いた。

 勉強のこと。

 学校のこと。

 人間関係のこと。

 そして。

 ある日。

 好きな人ができたと話した。

 大学見学で会った人。

 キーボードを弾いていた人。

 話しかけてもらったこと。

 また会いたいこと。

 もっと話したいこと。

 もっと知りたいこと。

「…………」

 幸也。

 丈の知っている名前だった。

     *

 亜美は。

 幸也のことを聞いた。

 どんな人なのか。

 女の子とは。

 どうなのか。

「…………」

 丈は答えた。

 嘘は。

 言っていない。

 幸也が。

 女の子と軽く付き合っていたのは。

 本当だった。

 ただ。

 亜美がどう受け取るのかは。

 分かっていた。

     *

 それでも。

 亜美は幸也を好きだった。

 だから。

 丈のところへ来た。

 分からないことがあるたび。

 聞いた。

 恋愛のこと。

 男のこと。

 女のこと。

 キスのこと。

 その先のこと。

 亜美は何も知らなかった。

 だから。

 丈が教えた。

     *

 少しずつ。

 二人の距離は変わった。

 先生と。

 生徒。

 それだけでは。

 なくなった。

「…………」

 それでも。

 亜美は。

 丈を先生と呼んだ。

     *

 高校三年の頃。

 塾の掲示板。

 丈の手には。

 一枚の紙があった。

『大学生講師 アルバイト募集』

「…………」

 掲示板へ貼る。

 四隅を留める。

 少し離れて。

 紙を見る。

 大学生になったら。

 亜美も。

 応募できる。

「…………」

 丈は何も言わず。

 その場を離れた。

     *

 そして。

 亜美は大学生になった。

 あの塾で。

 講師になった。

     *

 大学では。

 亜美と幸也が。

 また出会った。

 亜美は嬉しそうだった。

 幸也も。

 亜美と話すようになった。

     *

『亜美って子と話してただろ』

『見てたの?』

『たまたま』

『へえ』

 何でもない会話だった。

 丈も、いつもと変わらない顔をしていた。

『幸也』

『ん?』

『その子直充の妹だから』

『…………』

『他の子みたいにすんなよ』

『分かってるって』

『ならいいけど』

     *

 ただ。

 最初に。

 その言葉を口にしたのは。

 丈だった。

     *

 亜美は。

 大学へ入ってからも。

 何かあるたび。

 丈のところへ来た。

 幸也のこと。

 群司のこと。

 大学のこと。

 分からないこと。

 聞けば。

 丈は答えた。

 話せば。

 聞いた。

     *

 幸也に。

 いつ告白すればいいのか。

 それも。

 亜美は丈に聞いた。

「…………」

 丈が提案したのは。

 文化祭の前日だった。

     *

 文化祭の前の日。

 亜美は。

 幸也に告白した。

 そして。

 断られた。

 そのあと。

 丈のところへ来た。

「…………」

 丈は。

 亜美を受け止めた。

     *

 翌日。

 亜美の首には。

 跡が残っていた。

「…………」

 残さないことも。

 できた。

 見えないところにすることも。

 できた。

 でも。

 そうしなかった。

     *

 そして。

 その跡に。

 群司が気づいた。

     *

 文化祭が終わって。

 亜美は幸也と付き合った。

 ずっと好きだった人と。

 ようやく。

 恋人になった。

     *

 亜美は。

 丈に。

 もう相談しないと決めた。

 だから。

 丈も。

 離れた。

     *

 それから。

 亜美から連絡が来た。

『先生

相談したいことがあります』

 丈は。

 見た。

 返さなかった。

     *

『先生』

 それも。

 見た。

 電話も来た。

 出なかった。

     *

『昨日、電話してすみませんでした』

『幸也さんのことで相談したいです』

「…………」

 返さなかった。

     *

 会えなかったわけではない。

 会わなかった。

 亜美がいる日には。

 バイトを代わってもらった。

 すぐ近くに。

 亜美がいた日も。

 声をかけなかった。

     *

 亜美は。

 それでも。

 丈を探した。

     *

『先生

少しだけでいいので

話せませんか』

「…………」

 その日も。

 丈は。

 返さなかった。

     *

 そして。

 言葉が変わった。

『会いたいです』

「…………」

 相談したい。

 ではなかった。

 何かを聞きたい。

 でもなかった。

 ただ。

 会いたい。

     *

 それでも。

 丈はすぐには行かなかった。

     *

『今日、塾にいます』

 少しして。

『待ってます』

「…………」

 丈は。

 最後の一文を見つめた。

 亜美が。

 待っている。

 自分を。

     *

 それから。

 丈は亜美のところへ行った。

     *

『何かあった?』

『何もないです』

『何も?』

『……はい』

『じゃあ、なんで呼んだの?』

「…………」

 亜美は。

 少し迷って。

 答えた。

『先生に……』

『うん』

『会いたかったから』

     *

 あのとき。

 初めてだった。

 亜美が。

 何かを聞くためでも。

 何かを教えてもらうためでもなく。

 丈そのものを。

 求めた。

     *

 そのあとも。

 亜美は自分から言った。

『もう少し、一緒にいてもいいですか』

『また……会ってくれますか』

『会いたいです』

     *

 そして。

 幸也と別れた日。

 また。

 亜美から届いた。

『会いたいです』

     *

 丈は。

 今度は返した。

『どこにいる?』

『駅です』

『そこで待ってて』

     *

 亜美は。

 丈を選んだ。

 幸也と別れろとは。

 一度も言わなかった。

 自分を選べとも。

 言わなかった。

     *

『じゃあ……もう、離れなくていいですか?』

『それは亜美が決めることでしょ』

『私が……?』

『うん』

『亜美はどうしたいの?』

     *

 そして。

 亜美は答えた。

『……離れたくないです』

『先生と』

『もう、離れたくない』

     *

 今日も。

 亜美は。

 自分から手を伸ばした。

 自分から。

 名前を呼んだ。

『……丈さん』

「…………」

 丈は。

 少しだけ笑った。

     *

 高校生の頃。

 亜美は。

 何も知らなかった。

 分からないことがあれば。

 丈に聞いた。

 どうすればいいのか。

 何をしたらいいのか。

 自分の気持ちまで。

 答えを求めた。

     *

 でも。

 最後は。

 聞かなかった。

     *

 会いたい。

 離れたくない。

 好き。

 全部。

 亜美が。

 自分で決めた。

     *

 丈は歩きながら。

 ポケットからスマートフォンを取り出した。

 画面を開く。

 亜美とのやり取り。

『会いたいです』

「…………」

 少し前まで。

 その言葉を。

 待っていた。

     *

 丈は画面を閉じた。

 そして。

 何事もなかったように。

 歩き出した。
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