バー・アンバー 第一巻

ミキの策謀

前を開けたコートの下には横縞が入った紅葉色のニット長袖シャツを着、下は赤のチェックロングスカートでさらにその下に黒色のタイツを穿いている。一言で云って相当にファッションセンスの悪い御仁である。要するにダサいオバハンだ。一見人のよさそうな扁平な顔立ちに鋭い眼光を走らせて俺とミキを見たあとで、すぐにその目を細め「あーら、あら、嫌だ、お客さん。困りますよ、店の女の子を泣かせちゃ」などと笑いながら宣う。どうやらこの店の本当のママのようだ。どう受けようか俺が考える間もなく近づいて来「ミキ、表でパパが待ってるわよ。あとは私がするからあなたは着替えてきなさい」とカウンター越しにミキに呼びかけた。おしぼりを顔に当てたミキの嗚咽が止まる。おしぼりの裏側で必死に何事か考えをめぐらせているようだ。数瞬間を置いてからミキはおしぼりを顔から離した。涙目のあとは隠せなかったがニッとばかりママに微笑んで見せる。
「あら、ママ、泣いてなんかいないわよ。こちらのお客さんがあんまり面白いことを云うんで、思わず笑い転げていただけよ」とこともなげに云い、今度は俺に「田村さん、ご免なさいね。お聞きの通り。うちのママの云うことは絶対なの。わたし行かなきゃならないけど、さっきのお約束必ず守ってくれるんでしょ?」と話を振る。俺は面食らいながらも何某かのミキの策謀を感じて「あ、ああ…も、もちろんだよ。忘れはしないさ。例のアレでしょ?」とかまをかけた。「そう、アレ。わたしをデートに誘ってくださるっていうお約束。日時と場所は…(ママに視線をやってから)あ、ママに聞かれちゃ嫌だから、田村さん、ちょっと来て」そう云ってカウンターから出たミキは俺の肩に手を掛けて奥の着替室へと同行を誘った。「ミキ…」咎めようとするママに「うーん、いいじゃない。5分で済むわよ」と往なしそのまま俺の手を引いて奥へ行こうとする。「ちょっとお客さん、困りますよ。着替え室まで入られちゃ」と咎めるママに俺は「うーん、いいじゃない。ママ。そんな困るばかり連発しなくても」とミキを真似て往なしたがしかしさすがにママの対応が心配されたので「すぐ、すぐだよ、ママさん。何も変なことはしない(自信なかったが…)。日時を聞くだけさ」と云い足した。
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