バー・アンバー 第一巻

日比谷公園での思索

人のまばらな一角を見つけてベンチに腰をおろしわかばに火を点ける。考えてみれば午前中に家を出てから1本もタバコを吸っていない。深々と煙を吸って吐いた。今日は金曜日でいい天気である。この日和で広々とした公園内にいれば何を毎日あせくせと…などと思ってしまう。まったく昨日一日の体験と昨晩の夢で俺の人生への捉え方が180度ひっくり返ってしまったような気がする。あの天上界のイブや地獄の洞窟内で会った人々、獣人、そして何より自分が死んだことさえ自覚できずに、暗い霊界で悶々とし、そこからの束の間の解放を餌に死後もなお利用され翻弄され続けるミキこと、✕✕✕✕✕✕✕さんの霊…良きにつけ悪しきにつけ(光の世界につけ闇の世界につけ)彼らに嘘はなかった。地が出ていた。それに比べて何と云うかおのれの立場や見栄、世間体を常に慮って、恰も鶴見のイブのごとくにオブラートに包まれて、盲のように生きているわれわれ…ではないだろうか?E・スェーデンボルグの言葉で「この世の人たちは死んだように生きている」というものがあり「時には夢の途中であなたは迷子になり、より良いものを見つけます」なる言葉をツイッターで見た覚えがある。どちらもその通りだ。渋谷の地縛霊たちの悲しみや苦しみは絶対だった。なぜそうなのか?死後ああなるのだったら人は誰も死にたくないだろう。おそらく真実は逆なのだ。生前霊としての、いや〝魂〟としての自覚をまったく慮らず(換言すれば「自分は何のためにこの世に生まれて来たのか?」を問わず)肉体や物質への快感原則のみに生きてしまった結果がああなのだろう。俺はああはなりたくなかった。気障な云い方を許してもらうなら俺は夢世界で実感し得たイブの光の指向を俺なりに模索し、体現し、またミキの闇(同時にこれは俺の闇!そして万人の闇でもある。その分けは後述する…)をぜひとも晴らしてみたいのだ。いや、晴らさねばならない。
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