バー・アンバー 第一巻

イチかバチか名刺を渡す

いささかでも気になるが今はそんなことを慮っている時ではない。語気を強めた邵廼瑩の口調に気づいた連れの相田なる男がこちらに戻って来るし、異変に気づいた運転手も表へと出て来た。俺はイチかバチか俺の名刺を取り出して邵廼瑩に渡そうとする。「これを。しまって!」小声で鋭く云うのに一瞬躊躇したあと『いいわ。受け取ってやるわよ。その代わりあとで…(詰問なりするからね)』とでも云いたげに邵廼瑩が名刺をバックにしまってくれる。安堵してあとはどうとでもなれと覚悟する俺に「おい、何をやっている?お前、誰だ?」「警察に通報しましょうか?」相田と運転手がそれぞれ云う。俺は「いや、こちらの人を知り合いと間違えて…どうも失礼しました。人違いでした」と云いわけするが「なにぃ?人違いだあ?…」と凄みながら相田は邵廼瑩に『こいつ、行かせていいのか?何もされなかったか?』と目で聞くようだ。邵廼瑩は軽くうなずいてから「いいですよ、キャップ。本当に人違いをしたようだから」と云って俺の放免を許諾してくれる。「ちっ、気をつけろよ、お前。警察に通報してやってもいいんだぞ」本当はナンパしてたんじゃないのか?となおも疑い、相田は凄むが後悔と委縮をよそおった俺の無言を確認すると「よし、もういいよ。行けよ」とこちらも俺を放免してくれた。面目なかったがこれもミキとの約束を果たすためと自分を慰め俺は地下鉄内幸町の駅へとトボトボと歩いて行った。心中では『キャップか…なるほどな、彼女は確かに新聞記者のようだ。しかしだったら高級ホステスのようなあの格好はいったい何なのだろう?』などと、また『それにしてもいい女ぶりだったなあ。あれを抱いたんだなあ…なんて改めて思うよ』とも思いをめぐらす。内幸町の信号まで来てから俺は通りを渡ってしまう。駅とは反対だったがいつものように生理的欲求(すなわち喫煙)を覚えたからだ。信号を渡るとそこは日比谷公園でその角には交番がある。『警察を呼ぶってか。ちぇっ、目の前が交番だったんだな。くわばらくわばら』立哨する警官の目と視線を合わせないようにして俺は日比谷公園の奥へと入って行った。
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