傾国の落日~後宮のアザミは復讐の棘を孕む

五、寵姫傾国

 徳妃薊氏が皇帝の寵愛を受けてより一月。景雲宮を賜った徳妃の懐妊を、太監の徐が皇帝に上申した。
「間違いないのだな?」
 皇帝の問いに、徐公公は額の前で両手を拱手して、恭しく頭を下げた。
「はい。侍医の診立てでも間違いはないと」
「ここ数年、朕の子を身ごもったものはおらなんだが……」
 顎髭をしごきながら遠い目をする皇帝に、徐公公はにこやかに言った。
「めぐり合わせもございましょうが、何しろ娘娘(にゃんにゃん)はお若くしてあられますので」
「まあそうよの……懐妊が明らかになったとなれば、あまりあの宮ばかり通うわけにもいかぬが、だが今宵はあちらで過ごすと触れを出しておけ」
「は。娘娘も主上の御来臨を心待ちにしておられます」 
 薊氏を後宮に()れてよりこのかた、ほぼ寵愛は独占状態にあった。――それほど、皇帝は若い妃にのめり込んでいた。
 たしかに、薊氏は美しい。
 顔立ちは整って清楚であり、受け答えも聡明で、かつ内面から滲み出る凛とつした(つよ)さがあった。
 清明節の宴で初めて目にしたとき、皇帝は痺れるような衝撃でしばし言葉をなくした。
 ――これほど美しい女であったとは。
 ただ、家柄と年回りだけで息子の嫁に選んだが、面通しくらいはしておくべきであった。
 皇帝に即位して三十年。この世のすべては彼のもので、どんな女も彼に媚びを売り、秋波を送り、その寵を得ようとした。だが、薊氏は違った。
 彼女はただ控えめに夫を立て、夫を見つめていた。
 その星のように煌めく瞳に映るのは、ただ夫である伯祥一人。
 美しさとそのけなげさが、皇帝の心を揺さぶった。
 ――あの女が欲しい。息子を見つめるあの瞳を、こちらに向けたい――
 帝王の気まぐれが一つの夫婦を壊し、我が子を死に至らしめた。しかしそんなことは皇帝にとっては些事に過ぎない。
 天下のすべては己の手中にあり、天下のすべては己の意のままにあるべきだ。なぜなら、己はこの天下を統べる天子なのだから――

 それから数か月後、紫紅は無事に、玉のような男児を産み落とした。
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