悪役令嬢として婚約破棄されたところ、執着心強めな第二王子が溺愛してきました。2
閑話 ちょっとの時間
 本を買い、王城に戻ってきたアイリスは、さてどうしようか……と悩む。
 グレゴリーとリッキーはさっさと寮に戻ってしまった。間違いなく、一刻も早く購入した本を読みたくて仕方がないのだろう。
(私だって読みたいんだけど……)
 そう思いつつ、アイリスは自分の持つ紙袋に目を向ける。そこに入っている本は二冊。一冊は自分の分で、もう一冊はラースの分だ。
「もう夜だし、今から渡しに行っても迷惑かもしれないし……」
 そんな言い訳じみた言葉は山のように出てくる。
 アイリスはうぅ~んとどうすべきか首を傾げに傾げて悩み、「よし!」と気合を入れる。
「悩んでもやもやしてたら本を楽しめないし、さっと渡すだけ渡して帰ってお風呂に入って本を読もう!」
 そうしよう、絶対にそれがいい。
 ということで、アイリスは男子寮へ向かった。

「ラース――ラディアス殿下は、男子寮から王宮内に移られましたよ」
「あ……」
 アイリスが男子寮の入り口で寮母に確認を取ると、至極当然の返事をされてしまった。
 今までラースは平民というていで王宮魔獣研究所に勤めていたけれど、今は王族であり、王太子になったことが周知されている。
(寮生活する理由なんてないわよね……)
 自分の考えの至らなさに、アイリスは頭を抱えたくなる。
「アイリス様が会いにいらしたら、きっとラディアス殿下も喜ばれますよ」
「え、ええ……」
 アイリスは寮母の言葉に苦笑しつつ頷いて、寮を後にした。

 王城内の廊下を歩きながら、アイリスはさてどうしたものか……と考える。
 寮のラースの部屋に本を届けに行くだけなら、すぐに済んだだろう。しかし王族であるラディアスの部屋に行くとなると、まったく違う。
 まず護衛騎士がいるし、側には世話をする側近だっているだろう。何なら、会うためには先ぶれや面会依頼をした方がいいかもしれない。
(いつもラースが会いに来るから、そういったことを失念していたわ……)
 アイリスは元々第一王子クリストファーの婚約者だったのだが、悪役令嬢ということもあり、今までほとんど王族には関わってこなかった。
(そもそも、クリストファー殿下はヒロインのシュゼットに夢中だったし……)
 今はもう乙女ゲームもエンディングを迎えたが、最後の悪役令嬢断罪イベントでは予想外のことが起こりすぎてハラハラドキドキしたものだ。
(やっぱり、ラースには職場で会ったときに本を渡そう)
 それが一番いい。
 アイリスがそんなことを考えながら歩いていると、前方に人影が見えた。
「――アイリス!」
「え、ラース?」
 ぱっと笑顔になり、声をかけてきた人物こそ、アイリスが会おうかどうしようか悩んでやめようと思っていた人物だった。
(なんてタイミング!!)
 まるで犬の尻尾が見えるかのような喜びように、思わず苦笑いしてしまったのも仕方ないだろう。

 この国の王太子になったラースこと、ラディアス・オリオン。
 長い黒髪をひとつに結び、前髪は整えてわずかに後ろに流している。金色の瞳はまるですべてを見据えるかのような、語り継がれてきたお(とぎ)(ばなし)の伝説と同じ色。
 赤い差し色が効いた黒いジャケットを軽く羽織っている姿はどこか上品で、アイリスがいつも見ていた研究員のラースとはかけ離れている。

 ラースは周囲をわずかに見やると、それからアイリスを見て破顔した。
「実は、アイリスがいたらと思って研究所に行ったんです。そうしたら、所長とリッキーと三人で本屋に行ったと聞いて……。所長もリッキーもずるいですよ」
 一緒に行きたかったですというように、ラースがわずかに頬を膨らました。それを見て、アイリスはくすりと笑う。
「王太子が気軽に街の本屋に行ったら困るわよ。というか、もしかしてラースひとり? 護衛騎士はどうしたの?」
 いくら王城内とはいえ、危険がゼロというわけではない。アイリスが懸念を口にすると、ラースはふっと笑みを深めた。
「心配してくれるんですか? アイリス」
「――! べ、別にそういうわけではなくて……王太子として、そういうところはきちんとした方がいいと思っただけよ!」
 少し早口になりつつもアイリスが告げると、ラースは「大丈夫ですよ」と理由を説明する。
「こう見えても、強いので」
「それは知っているけど……」
 そういう問題ではないのでは?と、アイリスは首を傾げる。
(とはいえ、きっと最低限の護衛くらいはついているんでしょうけど)
 暗部か何かの護衛が、見えないところにいるのだろうとアイリスは納得することにした。
 アイリスが息をつくと、手にしていた紙袋のカサリという音に存在を思い出す。女子寮に帰らず、王城内に来たのはこれのせいだ。
「実は、ラースにあげようと思って買ってきたのよ」
「え?」
 まさか自分に何かを買ってきてくれるとは思わなかったのだろう。ラースは目をぱちくりさせて、アイリスを見てきた。
「え? 俺に、ですか? アイリスが?」
 ラースは信じられないのか、何度も「え?」と繰り返す。
「もう、そうだって言ってるでしょ!」
「……っ、嬉しいです。ありがとうございます、アイリス」
 今にでも抱きついてきそうなラースから少し距離をとりつつ、アイリスは紙袋から先ほど購入した本を取り出した。
「それって、今日発売のやつですよね?」
「ええ」
 ラースはすぐにわかったようで、「読みたかったんです」と(ほほ)()んだ。アイリスもラースがこの本のシリーズが好きなことは知っていたので、「そうでしょう」と力強く頷き返す。
 しかも今回の本は、特別仕様なのだ。
「きっと驚くと思うわよ」
「驚く……?」
 アイリスが不敵な笑みを浮かべて本を渡すと、ラースは不思議そうに首を傾げつつ本の表紙を見た。
「内容がすごくて驚くっていうことですか? 確かに、今回の本は魔獣の起源に関する調査だと聞いていたので、すごい発見が書かれていても――えっ!?」
 ラースが至極真面目なことを言いつつ本をぱらりとめくった瞬間、驚いて声をあげた。それを聞いて、アイリスは「言ったでしょう?」と笑う。
「いや、だってこれ……著者のサインが入ってるんですけど……?」
「それが、本屋に偶然来てたの! びっくりしたわ。リッキーと所長がサインをねだって、私もしてもらっちゃったのよ。しかも、ラースの分も快くしてくれたの」
 本屋で出会ったルーベンのことを話すと、ラースは「すごいですね」と言いながらまじまじとサインを見ている。
「旅をしながら魔獣の研究をしている人ですから、勝手に厳しい人だと思ってました」
 ラースが告げた人物像に、アイリスも頷く。
「そうよね。旅をすると魔物との遭遇率も上がるから危険だし、どうしてもね……。でも、ルーベン先生は朗らかでいい人だったわ」
「そんな先生が書いた本なら、本を読むのがさらに楽しみになりますね」
「ええ」
 かくいうアイリスも、実は早く部屋に戻って読みたいと思ってしまっていたりする。読み終わったら、リッキーたちと感想会をしなければとも思う。
 ラースもアイリスが本を読みたくて仕方がないのを察したのだろう。苦笑しつつ、手を差し出してくれた。
「寮まで送らせてください」
「え? 大丈夫よ、ひとりで戻れ――」
「それとも俺の部屋で一緒に読みますか? アイリスならいつでも大歓迎ですから」
「エスコートをお願いするわ」
「……残念です」
 アイリスが即座に返事をしたので、ラースは渋々女子寮に向かって歩き出した。

 女子寮へ歩き出したはずだが、やってきたのは庭園だった。
 夜の庭園は月明かりに照らされていて雰囲気があり、恋人たちの秘密のデートスポットのようだとアイリスは思う。
「寮へ行くには少し遠回りになってしまいますけど、夜の庭園もいいものでしょう?」
「……そうね」
 アイリスは植えられた花々を見て素直に頷いた。庭師が丁寧に世話をしているため、とても綺麗に咲いている。品種改良された夜に咲く薔薇(ばら)が、庭園を彩っているのだ。
 庭園の片隅に設置されているベンチを見て、ラースが手に持つ本を軽く上げた。
「せっかくですし、ちょっと読んでいきませんか?」
「え……」
 それは何とも魅力的なお誘いだと、アイリスはそわりとする。
 ベンチの横には魔導灯があり、少し本を読む分には問題ないだろう。アイリスは悩みつつも、「ちょっとだけよ」と了承した。

「はあぁぁ、やっぱりいいわね! 各地の魔獣に関する伝承をここまで調べるのは、大変だったでしょうね。小さな村の事例まで載っているわ」
 本の内容を軽く確認しようと思っていただけだったが、思いのほかがっつり目を通してしまった。
(でも仕方ないわ、この本が興味深すぎるんだもの!!)
 最初は庭園をのんびり散歩する……はずだったかもしれないが、すぐにでも寮に帰って完読したい衝動に駆られてしまう。
 するとふいに、視線を感じた。
「……ラース?」
 アイリスが隣を見ると、膝に本をのせたままのラースがニコニコ笑顔でこちらを見ていた。本なんてまったく読んでいない。
「いえ。本を読んでるアイリスが可愛くて、ずっと見ていたいなと」
「――! ふざけたことを言わないでちょうだい」
「本気ですけど? アイリスのことなら、不眠不休でずっと見ていられます。アイリスを見ていること自体が栄養摂取ですから。むしろコンディションが整うといいますか――」
「お願い黙って」
 自分はいったい何を聞かせられているのだと、アイリスは遠い目になる。それで人間が元気になったら苦労はしないのだ。
「とはいえ、アイリスを長時間夜風に当たらせるのもよくないですね」
 ラースは「夜は少し肌寒いですから」と言って自身の上着をアイリスの肩にかけてくれた。確かに少し肌寒くなっていたからありがたいのだが……。
「これじゃあ、ラースが風邪を引いちゃうじゃない。私は大丈夫だから――」
「鍛えているので大丈夫ですよ」
 アイリスがラースに上着を返そうとするも、拒否されてしまった。
(王太子のラースの方が、風邪を引いたら大変だっていうのに……)
 まったく、とアイリスは苦笑する。
「それじゃあ、部屋に戻りましょうか」
「はい」
 エスコートのためにラースが手を差し伸べてくれたので、アイリスはその手を取った。

 庭園に寄り道したとはいえ、さすがに王城の敷地内にあるだけあってすぐ女子寮に到着した。
「くぅ……もっとアイリスと一緒にいたかったのに……」
(……恥ずかしげもなく口に出すんだから……!!)
 ラースの言葉に顔を赤くしつつ、アイリスはどうすべきか少し悩む。
 庭園に少し寄り道したとはいえ――恐らく、ラースは死に物狂いで仕事を終わらせてきたはずだ。それほど王太子である彼は多忙だし、他者に任せられないものもあるだろう。
(私に会うために頑張ってくれたんだよね……?)
 そう思ってしまうのは自意識過剰だけれど、それが(うぬ)()れでも何でもないところも困ってしまう。
(お茶に誘う? でも……ラースを部屋に入れていいのか……)
 以前、ラースの部屋に入ったら大変なことになった。それを思い出すと、どうしても気軽に寄っていくように誘うことは憚られる。
 アイリスがどうしたものか悩んでいると、先にラースが切り出した。
「それじゃあ、俺は戻りますね」
「え?」
 思わず声をあげてしまうと、ラースが苦笑する。
「さすがに、この時間に女性の部屋に寄りたいとは言えませんから。……まあ、欲を言えばお招きされたいですけど」
 長くタメをつくってから告げられたラースの本心に、アイリスは笑う。下心があると正直に言われてしまっては、怒りにくいではないか。
 ラースは「それに――」と、アイリスの耳元に唇を寄せてきた。
「マテができそうにないですから」
「――っ!」
 アイリスが思わず息を呑むと、ラースがしてやったりの顔で笑う。「少しは意識してもらえましたか?」なんて言っているが、めちゃくちゃ意識してしまった。
(ただでさえラースは顔がいいのに、わざとそんなことをされたらたまったもんじゃないわ)
 アイリスは赤くなってしまった顔を誤魔化すように、ラースの背中を押す。女子寮の前から歩き出すラースはどこか寂しそうだけれど、特に抵抗するようなことはない。
「ほら、明日も仕事なんだから! ラースも早く部屋に戻りなさい」
「そうですね。これ以上一緒にいたら、部屋にお邪魔したくなっちゃいますから」
「……もう!」
 そんな風に言うラースを見送ったアイリスは、しばらくドキドキが落ち着かなかった。
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