桜ふたたび 後編

「なぁ、晩ごはんどうする? どっか、ええお店、知ってる? 行きつけのお店とかないん?」

着いたばかりなのに、さっそく晩ごはんの話。千世らしい。

「ごめん。まだ外で食べたことないの。家食だから」

「あら、ごちそうさま」

惚気だと取ったのか、千世は戯けて返す。家で独り飯という意味なのだけど。

「もしかして、家政婦とか専属シェフとか、おるん?」

「まさか」

「へぇ、てっきりお貴族様みたいな暮らししてると思うてたのに。けど、そやね、澪は家事、得意やし、お料理も上手やもんな」

「得意、ってわけじゃないけど……」

家事は実家暮らしから日常だった。単に、今までの生活のルーティーンを崩したくないだけ。

それに、ジェイは、プライベートに他人が入ることを、好ましく思わない。用心深いから。

「うちなんかさぁ、料理教室にも通っとったのに、〈京風はお上品ねっか〉ってお姑さんから嫌味言われるし、味付け濃くしたら、〈こんげな高カロリー高塩分、成人病のもとられば〉ってお義姉さんから文句つけられるし……。ほんま、どーせいっちゅうねん」

「お義姉さん?」

「帰って来てるんよ。旦那がリストラされて」

千世は忌々しげに言った。

彼女とはイタリア旅行で一緒だった。なかなかしゃきしゃきとしたひとで、姑が婦人会の会長なら、義姉はPTAの会長タイプ。
千世の母親も兄嫁ものんびり屋だから、イライラと二人を見つめる目がこわかったことを思い出す。当人たちはまったく意に介していない様子だったけど。

「旦那の仕事が見つかるまでとか言うてるけど、どうだか? 毎日愉しそ〜に畑仕事手伝うてはるし。
あ~あ、あの人使いの荒い姑と、いけずな小姑と、こましゃっくれた姪っ子にこき使われて、うちもこのまんま越後の雪に埋もれてゆくんやわ……」

シェークスピアでもあるまいし、千世はよよと崩れるようにテーブルに突っ伏した。
そして、腕の中からくぐもった声で、

「そやしなぁ、澪……、しばらく、泊めてもろてもええ?」

「もちろん、遠慮しないで、何日でも──」

とたんにパッと笑顔を上げて、

「おおきに! やっぱ、もつべきもんは友やなぁ」

さっさと残りのケーキを頬張る。

澪はなにか引っかった。
千世は自他共に認めるグルメ評論家だ。特にスイーツにはうるさい。
その彼女が、董子が贔屓にしてる有名パティスリーのモンブランを前に、一言もない。マスコミに何度も紹介された独特のフォルムだから、気がつかないはずがないのに。
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