桜ふたたび 後編

3、営巣

「ほんとうに、一週間もここで暮らしてたんですか?」

がらんどうのリビングを見渡し、澪は呆れたように言った。

「初日はベッドもなくて、床で寝たんだ。電気や水道の開栓に、手続きが必要だとは知らなかったなぁ。暑いし、体は痛いし、散々な目に遭った」

ジェイはなぜか嬉しそう。子どものキャンプでもあるまいし、家具も食器もない生活が、快適だったとは思えないのに。

「とりあえず、お買い物に行きませんか? せめて、テーブルとコップくらいはないと……」

東京にマンションを購入したと聞いたときから、危惧はしていた。ホテル暮らしの彼は、自炊はおろか、珈琲を煎れたこともないのだから。

洗面室に山積みされた汚れ物。勝手にランドリーサービスが引き取りにくるとでも思ってる?
靴跡が残るフローリング。どこの家にもルームメイドがいるものだと思ってる?
シンクに捨て置かれたゴミやペットボトル。まさか、夜中にコビトがゴミ置き場へ運んでくれると、思っているわけではないと思うけど……。

「やっぱり、ホテルのほうが──」

言葉を遮るように、ジェイは澪をフロアの中央へ引っ張った。

「それでmy wifey──新居は、気に入ってもらえたのでしょうか?」

得意げな彼には悪いけど、澪は微妙な顔をした。

高級住宅が点在する丘の一角。緑の林に隠されるように佇む、瀟洒な低層マンション。
タクシーが、シャラノキの花に縁取られたアプローチスロープを登りはじめたとき、間違えてはいないかと、運転手に確認したほどだ。

水の流れる車寄せ。エントランスは御影石。ラウンジは大理石。絵画が飾られたロビーには、コンシェルジュ。
それだけでも頭を抱えたのに、それも最上階、3LDKのメゾネット。
──中古とはいえ、信じられない買い物をする。
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