桜ふたたび 後編

澪は、本堂脇の湧き水から汲み上げた冷たい水で雑巾を絞り、ずいぶんと時間をかけて墓石を拭き続けている。
まるで、ひとつひとつの仕草に、祈りが宿るように。
それから手桶の水を柄杓で静かに墓石にかけると、ここでも時間をかけて花と線香を手向け、ようやく膝を折った。

合掌をしたまま振り仰ぎ、そして、静かに微笑みかける。

線香の白い煙が風に流され、空へ吸い込まれて行く。
その瞬間、風がすべてを剥ぎ取っていった。

母はここに眠っている。──それが真実だ。

ジェイは澪に倣って手を合わせた。

「私の妻になる澪です」

澪は恥じらいながら、墓前に頭を下げた。
仏の喉を潤す水が、うれし涙のようにキラキラと光っていた。

「澪に出逢えて、よかった」

風の音に聞こえなかったのか、澪が小首を傾げて振り仰いだ。
ジェイは吹っ切れたように微笑むと、澪の手を取って立ち上がらせた。

「冷たいな」

かじかんだ手を口元に引き寄せ、そっと息を吹きかける。
そのとき──

枯れ枝を踏む音。
山茶花の葉隠れに、人影が見える。
ジェイはさりげなく歩きかけたが、即座に諦めた。澪が、緊張で金縛りにあっていた。

「失礼だが」

枯れた渋い声。
線香はまだ白い煙を立ち上らせている。言い逃れはできない。

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