桜ふたたび 後編
Ⅷ 霧のセーヌ

1、白熊の野望

極東の町は、今日も練乳のような氷霧に覆われていた。

弱々しい太陽はぼうっと霞み、ツンドラの荒れ地には咲く花もない。永久凍土の地盤は短い夏にだけぬかるみ、すぐまた凍てつく。そのせいで建物はアンバランスに沈み込み、町全体がどこか殺伐としている。

その町の中心に、場違いな豪奢な宮殿が建っていた。
ビザンチン様式の館の内部は、世界中から集められた美術品や芸術品で埋め尽くされている。
圧巻なのは動物の剥製品だ。希少価値の猛獣──ライオン・アムールトラ・白オオカミ・ピューマ・黒ヒョウが、あたかも訪問者を威嚇するかのように並んでいた。

──このまま博物館として寄贈すれば、悪名ばかり目立つ彼にも、多少の功績が残るだろう。

アラン・ヴィエラはダウンジャケットの埃を払い、蒼白い顔に薄笑いを浮かべた。

アンバーの瞳の四白眼を隠すように、シナモンブラウンの髪が流れ落ちている。シャープなギリシャ鼻の鼻尖が平たい。
蝋細工の死神のような陰気な彼は、ロイズのNo.2だ。

イエス・キリストのイコンの前に据えられた、フランス革命の動乱に乗じてどこぞの城から盗み出された黄金の玉座に、ロイズ会長アンドレアノフ・ミロシュビッチの姿を認め、アランは視線を左右に走らせて、小さく咳払いをした。

ミロシュビッチは、両肘を肘掛け椅子の片方に置き、前屈みのまま、動かない。
セーブルのロングコートにアザラシのロシア帽、膝までのワーレンキを履いて、ときおり苛立たしげに組み合わせた革手袋の指先だけを動かした。

アランは王に謁見する大臣の如く黙礼した。

【──ただいま戻りました】

下唇を動かさずに発せられた声は小さいが、洞穴を抜ける風のように冴え冴えとしている。

ミロシュビッチは体勢を変えず、大儀そうに頷くと、丸二日をかけて戻った腹心に、労いの言葉ひとつかけることもせず、低い声で言った。

【モーリスが欲しい】

【……その件は、お忘れになったほうが宜しいかと】

常に顔を伏せて、話し相手と目を合わせない。

【罠かもしれません】

ミロシュビッチは重そうなまぶたを上げ、口の端で嘲笑した。
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