桜ふたたび 後編

「あれは、ぼんのお七夜を皆で祝った翌朝でした。
妹分の鈴鶴から、悲鳴のように助けを求められ、駆けつけると──霧雨のなか、志埜は道に頽れて、忍び泣いておりました。ぼんを抱いた男の背を、拝むように見送りながら……。その手には、爪が食い込むほどきつく、それが握りしめられておりました」

──Pro futuro filius noster. Deus benedicat.

「私たちの息子の未来のために。神のご加護を」

坂本が、ジェイの呟きを日本語でなぞった。

「志埜には、母親と同じ、心臓の病がありました。自分も短命であることを、予感していたのでしょう」

「もうおわかりですろう。それのたどり着くべきちょころは、坂本さんじゃない」

和やかさをたたえていた老師の眼が、不意にかっと見開かれた。

「おまさんの幸せを祈った母御の思いも、それを伝えようとするこの男の気持ちも、決して無下にしてはならん」

厳かな声が辺りの空気を震わせた。
老師の背後に、観世音菩薩のアルカイックな微笑みが、まるで語りかけてくるかのように揺れている。

ジェイは目を瞑り、カメオを握りしめた。

そこに残された想いが、胸に伝わり染みてゆく。
己の身の程を知り、息子の遠い将来を思い、強い自制心で子を託した。

──確かに、愛はあったのだ。

「ありがとうございます」

目を上げたジェイは、思わず苦笑した。隣で三つ指をついた澪の頬が、濡れていた。

「また、泣く」

「もらい泣き」

そう言って、澪は嬉しそうに微笑む。
ここにも、愛はある。



◇第三章 fin
< 167 / 270 >

この作品をシェア

pagetop