桜ふたたび 後編
❀ ❀ ❀
サーラとリチャードの隠れ家を、デュバルに密告したのは、ジェイの指示だ。
逃亡者は北へ、思い出の地を目指すという犯罪心理学のセオリーに従って、網を張っているところに、あちらから飛び込んできた。
ハーグはサーラの母方縁の地で、リチャードの留学先でもあった。
当時のふたりの接触情報は確認できなかったが、どちらも同じ地元有産階級主催の舞踏会や祭典に、複数回参加していたことから、この地をマークしていたのだ。
防犯カメラのハッキングで、パリを出る前に捕捉することも可能だったが、〈逃避行の間に愛はますます燃え上がる〉と主張する、ウィルの要らぬお節介のお陰で、フィリップの抜け毛を増やしてしまった。
そんな老婆心を焼かなくても、若者の〝情熱〞のほうが遥かに勝っていた。
しかし、妊娠までは、予定していなかった。
──若さゆえの無謀か……。
ふたりだけの世界に、遮二無二突っ走ってゆく情熱が、羨ましくもあった。
あのとき、もし澪の妊娠を知っていたら──自分は何もかも捨てて、彼女を連れて逃げただろうか。
……いや、たぶんできなかった。
歳を重ねれば重ねるほど、ひとは掴むものより捨てるものへの責任が重くなる。
それでも、あの日の澪の涙を思い出すたび、ほんの一瞬だけ、〝もし〞という想いが胸をよぎる。
リチャードを手引きし、サーラを屋敷から救出したのはレオだ。
そして現在、愛し合うふたりはシェイク・アブドラによってバハルで匿われている。
アブドラは今後、〝面目を潰した婚約者〞を必死に説得し、アルフレックス家とデュバル家の仲裁に努めるだろう。
さらに、デュバル家とルネ家の仲立ちにも一役買い、穏便に婚儀を整える手筈だ。
ルネ家はプロテスタントの良家で、リチャードの父親は次期大統領候補に名が挙がるほどの大物。フィリップとしても文句のつけようがない。
フィリップとアブドラは、民族性の違いから敬遠し合っているが、実は、相性は悪くない。
双方のプライドがギリギリ許せる〝理由〞さえ御膳立てしてやれば、FMTもSAMを受け入れるだろう。
この筋書きの発端──ロイズをFMTの買収へ仕向けたのは、ジェイだ。
PMSの動きを意図的にハッキングさせ、目敏いアランに食いつかさせた。
ロイズの黒い圧力に、FMTはさぞ心胆を寒からしめたことだろう。
むろん、この舞台セッティングは、営利のためだ。
デュバル家にもルネ家にも、慰謝料として相応の〝便宜〞を払わせる。
重要なのは、現在進行中のバハル最大プロジェクト──初期投資額約$50兆、完成までに十年は要するという、巨大人工島コンプレックスリゾート計画への、協力を確約させること。
このプロジェクトの陣頭指揮を執っているのが、シェイク・アブドラ・ヴィン・ラシッド・アル・マクトゥーム。
中東の石油王の一族にして、バハルの未来を背負うと目される男だ。
彼が数あるパートナー候補の中から、迷わずAXを推挙した背景には、HBS(Harvard Business School)でジェイとセクションメイツだったということもある。
しかし世間では、クリスティーナ・ベッティの熱心な口添えがあったと、もっぱらの噂だ。
アラブの大富豪の我がままは、常に尋常を超えている。
それゆえに、その裏に秘められた大いなる野望を、嗅ぎ取る者はいなかった。
サーラとリチャードの隠れ家を、デュバルに密告したのは、ジェイの指示だ。
逃亡者は北へ、思い出の地を目指すという犯罪心理学のセオリーに従って、網を張っているところに、あちらから飛び込んできた。
ハーグはサーラの母方縁の地で、リチャードの留学先でもあった。
当時のふたりの接触情報は確認できなかったが、どちらも同じ地元有産階級主催の舞踏会や祭典に、複数回参加していたことから、この地をマークしていたのだ。
防犯カメラのハッキングで、パリを出る前に捕捉することも可能だったが、〈逃避行の間に愛はますます燃え上がる〉と主張する、ウィルの要らぬお節介のお陰で、フィリップの抜け毛を増やしてしまった。
そんな老婆心を焼かなくても、若者の〝情熱〞のほうが遥かに勝っていた。
しかし、妊娠までは、予定していなかった。
──若さゆえの無謀か……。
ふたりだけの世界に、遮二無二突っ走ってゆく情熱が、羨ましくもあった。
あのとき、もし澪の妊娠を知っていたら──自分は何もかも捨てて、彼女を連れて逃げただろうか。
……いや、たぶんできなかった。
歳を重ねれば重ねるほど、ひとは掴むものより捨てるものへの責任が重くなる。
それでも、あの日の澪の涙を思い出すたび、ほんの一瞬だけ、〝もし〞という想いが胸をよぎる。
リチャードを手引きし、サーラを屋敷から救出したのはレオだ。
そして現在、愛し合うふたりはシェイク・アブドラによってバハルで匿われている。
アブドラは今後、〝面目を潰した婚約者〞を必死に説得し、アルフレックス家とデュバル家の仲裁に努めるだろう。
さらに、デュバル家とルネ家の仲立ちにも一役買い、穏便に婚儀を整える手筈だ。
ルネ家はプロテスタントの良家で、リチャードの父親は次期大統領候補に名が挙がるほどの大物。フィリップとしても文句のつけようがない。
フィリップとアブドラは、民族性の違いから敬遠し合っているが、実は、相性は悪くない。
双方のプライドがギリギリ許せる〝理由〞さえ御膳立てしてやれば、FMTもSAMを受け入れるだろう。
この筋書きの発端──ロイズをFMTの買収へ仕向けたのは、ジェイだ。
PMSの動きを意図的にハッキングさせ、目敏いアランに食いつかさせた。
ロイズの黒い圧力に、FMTはさぞ心胆を寒からしめたことだろう。
むろん、この舞台セッティングは、営利のためだ。
デュバル家にもルネ家にも、慰謝料として相応の〝便宜〞を払わせる。
重要なのは、現在進行中のバハル最大プロジェクト──初期投資額約$50兆、完成までに十年は要するという、巨大人工島コンプレックスリゾート計画への、協力を確約させること。
このプロジェクトの陣頭指揮を執っているのが、シェイク・アブドラ・ヴィン・ラシッド・アル・マクトゥーム。
中東の石油王の一族にして、バハルの未来を背負うと目される男だ。
彼が数あるパートナー候補の中から、迷わずAXを推挙した背景には、HBS(Harvard Business School)でジェイとセクションメイツだったということもある。
しかし世間では、クリスティーナ・ベッティの熱心な口添えがあったと、もっぱらの噂だ。
アラブの大富豪の我がままは、常に尋常を超えている。
それゆえに、その裏に秘められた大いなる野望を、嗅ぎ取る者はいなかった。