桜ふたたび 後編

4、タクティクス

──今頃はバハルにいるだろう。

サーラとリチャードの隠れ家をデュバル家に密告したのは、ジェイの指示だ。
ハーグはサーラの母方縁の地で、リチャードの留学先でもあった。当時のふたりの接触情報は確認できなかったが、どちらも同じ地元有産階級主催の舞踏会や祭典に複数回参加している。
逃亡者は北へ、思い出の地を目指すという犯罪心理学のセオリーに従って、網を張っているところに、あちらから飛び込んできた。

防犯カメラのハッキングで、パリを出る前に捕捉することも可能だったが、〈逃避行の間に愛はますます燃え上がる〉と主張する、ウィルの要らぬお節介のお陰で、フィリップの抜け毛を増えしてしまった。
そんな老婆心を焼かなくても、若者の行動力の方が遥かに勝っていた。

しかし妊娠までは予定していなかった。

──若さゆえの無謀か。

ふたりだけの世界に遮二無二突っ走ってゆく情熱が、ジェイには羨ましくもあった。
あのとき、澪の妊娠を知っていたら、何もかも捨てて彼女を連れて逃げただろうか。やはりそこまではできなかった。
歳を重ねれば重ねるほど、ひとは掴むものより捨てるものへの責任が重くなる。

リチャードを手引きし、サーラを屋敷から救出したのはレオだ。
そして、窮地に追い込まれたふたりをバハルへ招いたのは、アブドラだった。

アブドラは今後、〝面目を潰した婚約者〞を必死に説得し、アルフレックス家とデュバル家の仲裁に努めるだろう。

さらに、デュバル家とルネ家の仲立ちにも一役買い、穏便に婚儀を整える手筈だ。
ルネ家はプロテスタントの良家だし、リチャードの父親は次期大統領候補に名が挙がるほどの大物だ。フィリップとしても文句のつけようがない。

フィリップとアブドラの相性は悪くない。双方のプライドがギリギリ許せる理由さえ御膳立てしてやれば、FMTもSAMを受け入れるだろう。

ジェイがこの筋書きをセッティングしたのは、無論営利のために他ならない。
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