桜ふたたび 後編

2、チェックメイト

サロンの帰りに立ち寄った花屋で、澪は色とりどりの花を前に思い悩んでいた。
今年は、母の日のカーネーションを贈っていない。

澪にとって母の日は、感謝の日ではなく義務だった。
枕崎にいた頃は、祖母と伯母に似顔絵を描いてプレゼントした。拙くてもふたりは目を細めて褒めてくれた。
小学校入学と同時に親元に戻されて、初めての母の日に贈った絵は、〈カーネーションを贈る常識も教わってない〉と母の怒りを買った。

実は澪は、母から怒りの電話がかかってくることを、期待していたのだ。
愛情と無関心が対義語ならば、憎しみでも、嫌悪でも、打算でも、つながっていることに違いはないはずだから。

〈親も生身の人間、どうしても愛せない存在もある〉

そう諦めて、自らふり解いた絆なのに、まだ僅かな糸を探して手繰り寄せようとしている。

考えてみれば、澪が両親と暮らすようになったとき、彼らは今の澪より若かった。
澪だっていまだに揺らいでばかりなのだから、顔も見たことのない娘がいきなり成長して現れて、その戸惑いを隠せるほど大人ではなかったのだ。

そのうえ理解不能な枕崎弁と田舎の習慣が身についた娘は、都会人で体裁を気にする父にはみっともなかっただろうし、枕崎の家をひどく嫌っていたから、いつまでも祖母や伯父伯母を恋しがる澪は、仇の子のように思えたのかもしれない。

母にしても、田舎育ちをひた隠していたのに、昔の自分を見るようで恥ずかしかっただろう。東京に頼れるひともなく、引き取った娘が味方になるどころかまったくの役立たずで、かえって夫が隠し子を哀れに思う結果となって、腹立たしかったに違いない。

でも、そこにあったのは、澪に対する嫌悪だけだっただろうか。
人間関係の歪んだ機微を、澪に向けるしかなかったのかもしれない。

澪には見えていなかったのだ。
顔色をうかがうばかりで、目を見ていなかった。
親子という関係性にとらわれて、彼らもまだ未熟な人間であることを慮らなかった。
捨てられることをおそれて、彼らを愛そうとしなかった。

──呪縛をかけたのは、自分自身だったんだ。

いま、糸を離してしまえば、呪縛は解けず、恨みの根っこだけが残ってしまうだろう。
親子という根は深く複雑で、断ち切ることは難しい。無理に根を切れば、枯れてしまうから。

それは、ジェイも同じ──。
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