桜ふたたび 後編
『彼が改ざんしたデータは、ニコが痕跡も残さず完璧に復元した。根回しは万全、関係者との取引も完了している。手抜かりはないさ』

ニューヨークのトップローファームに所属し、AXファンドの法務を担うジェイの懐刀。
大袈裟なジェスチャーと魅惑的な甘いバスの持ち主で、彼の法廷は劇場のようだと評される。
六尺豊かな彼が、この声で、あるときは耳元で囁くように訴えかけ、あるときは舌鋒鋭く論ぱくすれば、たいていは、落ちる。

ただし、自分に酔うところがあり、そのために残念な失敗も犯していた。

『それより、彼の存在が明るみになって、FBIに嗅ぎつかれる方が危険だ。奴らの狂信的な正義感にかき回されて、これ以上、企業イメージを悪化させるのは得策ではない』

元CIA工作員のウィルには、国際テロ組織との接触中、FBIの横やりにより情報提供者と同僚を目の前で失った苦い経験がある。

裏家業と揶揄されようと国益のために諜報活動・政治工作に携わる組織と、合衆国民のために違法を取り締まるヒーロー型組織との対立は根深い。

正義と悪は紙一重、と言うのが、ウィルの口癖だ。

その事件をきっかけにウィルは弁護士に転職した。
検事補の妻とは家庭で共有する時間が増えたが、次第に衝突することが多くなり、八年前に離婚した。
離婚後の方がデート回数が増えたのだから、互いに家庭には不向きだったのだろう。

『だからって、犯罪者を匿うなんて……』

正義の味方は頭が固い。
捜査の手が伸びれば、ジェイとて無傷ではいられない。むしろリスクが大きいのは彼の方だ。

『いいかい? 犯罪など最初から存在しなかったんだ。今回の件はスクープ合戦に躍起になったマスメディアの妄想、いや暴走か?』

傍らのコーヒーテーブルに置かれたカルフォルニアのシャルドネをグラスに注ぐ、人を食ったようなライトブラウンの瞳に、リンは納得できないと首を振った。

『トミーにしても、あれは被害者さ。あのケチな男が、1Millionも女に貢がされ、その補填のために敵に機密情報を売り渡したのだから、人生どこでどう狂うかわからない。罪人がいるとすれば、魅力的な女を生んだ母親だな』

うんざりだわ、とリンが小声で吐き捨てたので、ウィルは顎先に拳を当ててククッと嗤った。
お堅い彼女をからかうのは、彼の密かな愉しみだ。
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