桜ふたたび 後編

[……誰のことです?]

[君の子ども]

[何か勘違いをされている。私に息子はおりません。形式上の妻はいましたが、それもロイズを解雇されたとたん、あっさりと離婚されました]

〝メル〞は、男女どちらにもある愛称だ。ジェイは〝息子〞とは言っていない。

失敗に気づかぬアランは、続けた。

[あなたのことだ、ご存じだとは思いますが、私はベルベル人移民の息子です]

己の民族を蔑称で呼ぶ。その卑屈さが、彼の原点であり原動力なのか。

彼の祖国・アルジェリアの歴史は、他民族による侵略と敗戦の連続だ。
フェニキア、カルタゴ、ローマ、ヴァンダル、東ローマ、イスラム、オスマン、フランス。抵抗し、敗れ、支配され、それでも民族の誇りだけは手放さずにきた。

だからこそ彼らは、自らを、〝ベルベル〞(わけのわからない言葉を話す者)ではなく、〝アマーズィーグ〞(誇り高き自由人)と呼ぶ。

[父親は飲んだくれで、詰まらぬ喧嘩で早死にしました。母も、私が十二のときに亡くなりました。
それ以来、私は野良犬です。生きるために、残飯を漁り、盗みをした]

アランの突然の告白にも、ジェイは表情を動かさない。
すでにこちらが相当の情報を掴んでいることは、相手も承知のはずだ。


彼の本名は、アシュラフ・カテブ。

カビール系アマーズィーグの父親は、アルジェリア民族解放戦線の戦士だった。だが政情不安の波に呑まれ、アシュラフが三歳のとき、家族はフランスへ亡命した。

マルセーユの歓楽街の片隅。娼館の用心棒として細々と稼ぐ父と、病に蝕まれながらも最後まで路地裏の客を取っていた母――アシュラフが育ったのは、失業と犯罪がはびこる移民街の奥底だった。

孤児となった彼はコロニーを出て流転を繰り返す。
マドリード・パリ・フランクフルト・ロンドン。いずれも移民の多いスラム街だった。

ジェイは彼の境遇に哀れみを感じてはいない。
少年は、叡知を武器に生きのびた。抜け目なく、しぶとく、したたかに。
< 233 / 270 >

この作品をシェア

pagetop