桜ふたたび 後編
Ⅻ 桜ふたたび

1、ルスカ

暗緑の森の輪郭から、サーモンピンクの朝焼けが炎のように揺らめき上り、星影の残る紫の夜を溶かしてゆく。
そろそろ日の出だ。

ここはおそらく、北欧のどこかなのだろう。
太陽は低く移動する。空は濃い蒼をしている。
長い夜が明けると、凛とした空に突然雲がやってきて、湖や針葉樹の森に、陰と日向を走らせながら秋雨を降らす。

その雨も、三日前から雪に変わった。

──今夜、決行しよう。

澪がここへ来て二十一回目の朝。
黄色いルスカ(紅葉)の白樺林がすっかり落葉した。地面を覆っていたベリーの紅葉も、ナナカマドの実の真っ赤な色彩も、鏡のような湖の周りを縁取っていた黄金色の草波も、パウダーシュガーの雪が覆い消してしまった。
根雪になる前に脱出しなければ、長い冬に閉じこめられてしまう。

澪は待っていたのだ、このときを。

──木の実もベリーもなくなった。きっともう冬眠してる。

森にはヒグマが棲んでいる。ナースが言っていた。

──まだ危険かな……。やっぱり助けを待った方がいいかもしれない……。

いざとなると、いつもの弱腰が顔を覗かせる。

澪は臆病風を振り払うように、頭の中で練り上げてきた計画を反芻した。
チャンスは一度だけ。失敗すれば、せっかく解けかかった警戒が復活してしまう。

澪は手をあわせて祈った。
その指にリングはない。
教会へ向かう朝、約束の指輪は外していた。あと数時間で、永遠の愛を誓う結婚指輪がはめられることになっていたのだ。
< 251 / 270 >

この作品をシェア

pagetop