桜ふたたび 後編

3、エコ・ド・ヴィブレ

美術館の吹き抜けオープンカフェで、澪は現実逃避するように、建物に切り取られた夕空を見上げた。
夏空と呼ぶには黄色く、秋空と呼ぶには高すぎる。暗くなるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

顔を戻したとたん、ひそひそと囁き合う客と目があって、澪はばつ悪そうに面伏せた。
パリ本店の雰囲気そのままに、洗練されたスノップなカフェで、この中央のテーブルだけ浮いている。

優子は民放キー局の元アナウンサーで、ご主人はプロ野球選手だから、注目されるのは仕方がない。
としても、高級ブランドで身を包んだ華やかな面々を見れば、とてもまともなOLや主婦の集まりには思えないだろう。

──なんでここに座ってるんだろう。こういう付き合いは、一番苦手なのに……。

「ですからね、澪さん」

優子は、幼稚園児に話すような口調で講義を続けている。
さすがに元アナウンサー、滑舌がよく、声質も耳に優しい。
フェミニンなハーフアップのミディアムヘア。はっきりとした二重と、涙袋。両頬の笑窪が、親しみやすい。

「フィニッシングスクールというのは、〝釣り教室〞ではなくて、レディーのための〝マナー教室〞のことなんです」

澪の頬が、さっと熱くなった。

あの日、マダム・ネリィに連れて行かれたのは、薔薇のガゼボで優雅に談笑する女性たちの渦中。
〈フィニッシングスクールの生徒たち〉と紹介され、「釣りは経験がないのですが」と応じて、大失笑を浴びた。
他の人の耳にも入ってたなんて、穴があったら飛び込みたい。

「欧州では、良家の子女が礼儀作法を学ぶために通う伝統校なんです。
ウィーンやパリ、ミラノの社交界にいらしたマダムが、日本女性にも国際的な感覚を学んでほしいと、ご友人のご令嬢方を松濤のご自宅にお集めになって開いたのが、Ecole(エコ) des() Vivre(ヴィブレ) 、通称サロン」

フランス語の発音もすばらしい。
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