桜ふたたび 後編

3、エコ・ド・ヴィブレ

美術館の吹き抜けオープンカフェで、澪は現実逃避するように、建物に切り取られた夕空を見上げた。
夏空と言うには黄色く、秋空と言うには高すぎる。暗くなるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

顔を戻したとたん、ひそひそと囁き合う客と目があって、澪は気まずく面伏せた。
パリ本店の雰囲気そのままに、洗練されたスノップなカフェで、この中央のテーブルだけ場違いと浮いている。

優子は民放キー局の元アナウンサーで、ご主人はプロ野球選手だから、注目されるのは仕方がないとしても、高級ブランドで身を包んだ華やかな面々を見れば、とてもまともなOLや主婦の集まりには思えないだろう。

なりゆきとはいえ、なぜ同席してしまったのだろう。

「ですからね、澪さん」

優子は幼稚園児を相手にするように講義を続けている。
さすがに元アナウンサー、滑舌がよく、声質も耳に優しい。ハーフアップにしたミディアムヘア、フェミニンな雰囲気で、はっきりとした二重と涙袋、両頬の笑窪が親しみやすい。

「フィニッシングスクールというのは、釣り教室ではなくて、レディーのためのマナー教室のことです」

あの日、マダム・ネリィに連れて行かれたのは、薔薇のガゼボで優雅に談笑する女性たちの渦中。マダムが主催するフィニッシングスクールの生徒たちだと紹介され、「釣りですか?」と応じて大失笑を浴びた。
他の人の耳にも入っているなんて、穴があったら飛び込みたい。

「欧州では、良家の子女が礼儀作法を学ぶ伝統ある学校で、ウィーンやパリ、ミラノの社交界にいらしたマダムが、日本女性にも国際的な感覚を学んで欲しいと、ご友人のご令嬢方を松濤のご自宅にお集めになって開いたのが、Ecole des Vlvre 、通称サロン」

フランス語の発音もすばらしい。
< 48 / 271 >

この作品をシェア

pagetop