桜ふたたび 後編
「それにしたって、庶民相手の家庭教師なんて、惨めだわ」

涼子は手の中で震えている花を解放し、ニヤリと笑った。赤い花びらが一枚、吐息のように落ちていった。

「一般人に教えることを惨めだとは思わないけど、澪さんの婚約者は、AXグループ総裁のご子息、ジャンルカ・アルフレックス氏よ」

「アルフレックス?」

「アルフレックス家は、アメリカで不動産、金融、通信、ITなど、手広く事業を展開する他に、国際市場で多くの投資をされているわ。イタリア・ジェノヴァに広大なお屋敷、ニューヨークの本宅とパリのサンジェルマンに別邸、コートダジュール、サンモリッツなどいくつもの別荘を所有。一家の総資産は一千億ドルとも言われている。母方はフランス伯爵家のお血筋。彼は次男で、現在はニューヨーク在住。容姿端麗のうえに、二十歳でハーバードMBAを取得された秀才。日本語はもちろん、フランス語・ドイツ語・スペイン語も堪能。絵に描いたようなハイスペックよね」

涼子は素晴らしいでしょうと言いたげに微笑んだ。茉莉花の怒りが沸点に達するのを愉しむように。

「葵はパリで彼とお知り合いになったと言っていたわ。あの葵が、ファッション指南も自分から買って出たくらいだから、彼女の魅力はわかるひとにはわかるってことなんでしょうね」

涼子はいかにもいま思い出したと付け加えた。

「そう言えば、茉莉花さんのフィアンセも東大卒のエリート官僚だったわね?」

屈辱感にピクピクと口端を震わせる茉莉花を一瞥して、涼子は太い薔薇の刺を親指で手折った。

──負けず嫌いのお嬢様、一度は厭というほどの敗北感を味わいなさい。
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