桜ふたたび 後編

2、人形の家

頭上高く木々の葉が重なり合って、妖しい夜行貝のような緑のトンネルを作っている。その先に煙霞の京都市街地が横たわっている。参道の坂道が破滅へのカウントダウンのように思えて、澪の頭の中で早鐘が打った。

──どうして何も訊かないのだろう……。

きっと聞かれた。それなのに、ジェイは押し黙ったまま足を止めない。

山から吹き渡った風に、緑の波が辺りの空気を浚いながら澪を追い抜いていった。
澪は息苦しさに喘いだ。シャボン玉に映った風景のように街が歪んで逃げた。

「澪」

抑えた口調に、澪は観念して目を瞑った。一番懼れていた瞬間が来た。

「京都まで来て、私に会わずに帰るつもりだっただろう?」

「え? あ、ああ……、お仕事の邪魔かと思って……」

「メールの文章が、菜都の母の葬儀に行くとだけとはね。Cellularも繋がらないし」

「ごめんなさい。マナーモードにしたままで、気がつかなくて……。よくお寺がわかりましたね」

「菜都の父親は弁護士だと聞いていたから、調べさせた」

彼に隠し事はできない。たとえ今回聞かれていなくても、いつか悪事はばれる。

「日曜日だし、いい機会だからこれから澪の家に行こう」

ジェイは唐突に言った。

「家に? どうして?」

「真壁さんとの約束を果たすために。明日、New Yorkへ戻ることになったから、その前に君の両親に会っておきたい」

澪にとっては出し抜けだけど、彼のなかでは予定されていたことらしい。

悪い予感がした。うまくいかないときには、何もかもがよくない方向へ向かってゆく。弱った心が魔物を惹きつけて、身の裡に棲まわせてしまうのだ。
そして時に人は、負のエネルギーに狂ったカタルシスを求めることがある。

〈君はこちら側の世界の人間だ。どんなに背伸びして頑張ったって、王様には手が届かない。王様がゲームに飽きればジ・エンドだ〉

辻の言うとおり、遅かれ早かれ綻びを繕いきれなくなる。

澪は投げやりに眼下の町へ目を向けた。

──これで壊れてしまうものなら、それもいい。
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