桜ふたたび 後編
❀ ❀ ❀

翌日、会食に出向いたジェイは、ウェイティングルームのカウンターにサーラの姿を見つけ、眉間にわずかな皺を寄せた。

──君もか。

呆れ顔で振り向いたジェイに、リンは気まずく一礼して、引き上げてゆく。
アイスドールとて、AXグループ最高権力者の命令には逆らえない。

それにしても、こんな陳腐な筋書きに、自ら歩を進めてしまったとは情けない。ブルックリンからロウアーマンハッタンの夜景を一望するムーディーな高級フレンチレストランなど、商談の場としては相応しくない。

[ご友人の結婚式でいらしたのでしたね]

案内されたテーブルでメニューを開いたジェイは、キールを口に訊ねた。無論、興味などない。

[はい、リセのクラスメイトが、明日、ボストンで挙式します]

[と言うことは、まだ十代ですか?]

若いとは思っていたが、いくら何でも幼すぎる。

[運命に年齢は関係ありませんもの]

幼さの残る声で言い切ったその瞳には、世界の複雑さをまだ知らぬ無防備さがあった。思惑渦巻く婚姻を運命に置き換えるとは、彼女はまだ恋に恋する乙女なのだ。

ジェイはグラスを傾けた。

──速やかに片付けるか。

ふと目を上げると、サーラはじっとこちらを見つめ続けていた。窓に広がる夜景にも引けを取らない、美しい瞳を輝かせながら。

[学校は、どちらに?]

[リセ・ジャンソン=ドゥ=サイイの最終学年です]

[では、卒業後はグランゼコールへ進まれるのですか?]

[父は、ソルボンヌで哲学を学ぶようにと]

せっかく掴んだエリート街道よりも、親の望むとおりに歩むと、サーラは何の疑いもなく言う。

若々しいシフォンワンピース姿は、清楚と淡雅を兼ね備えている。ピアノの生演奏に耳を傾けるさりげない仕草にも、嫌味のない上品さを感じさせる。そのうえ言葉には、駆け引きや打算のない順良さがあった。

おそらく彼女は、他人に妬心や引け目を感じたことがないのだろう。
塵埃から離れたところに彼女はいる。棘をもたなくとも、北欧王室とフランス名門貴族の血脈という高貴な出生が、他の追随を許さない。

ジェイは、サーラとの会話に心地よさを感じている自分が、鬱陶しかった。
こんなところを澪が見たら、目に一杯の涙を溜めて、哀しげに背を向けられてしまいそうだ。

能弁な口より、もの言わぬ唇のほうが怖ろしい。彼がもっとも怖れているのは、澪の沈黙だ。

──あいつはすぐに拗ねるから。

〈もう尻に敷かれているのか〉

アレクの声がしたようで、ジェイは思わず苦笑した。
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