月のない夜に青く溺れて ~彼は本能以上の愛で彼女を包む~
 涙はぜんぜん出てこない。ただただショックだった。
 体が心を裏切っているようで、華凛はそれももやもやする。
 なんでこんなことになったのか。
 チョコを口に放り込む。
 甘い香りが広がる。
 ハッとした。
 あいつだ。
 あいつのせいだ。
 華凛は憎むべき敵を見つけた。
 秘書を呼び、言う。
「午後の予定は全部キャンセルで」
「はい、問題ありませんが……どうされました?」
「ちょっと出かけて来る。ガスマスクって、どこに売ってる?」
 秘書は社長の言葉に目を丸くした。
「すみません、存じません……」
「そう。自分で探すわ」
 華凛はコーヒーを飲み干すとバッグをひっつかんで出て行った。

 勢い込んで乗り込んだはいいが、アポなどとっていない。
 果たして会えるのだろうか。
 紙袋を手にさげ、華凛は受付で名を告げて社長に会いたいと告げた。
 受付嬢はどこかに電話をすると、はい、はい、と答えて華凛を見た。
「ご案内いたします」
 すんなりと通され、華凛は拍子抜けした。
 微かに甘やかな香りがした。
「ご存じのように、わが社の社長はオメガです。ハンデにもなる事実を社長は公表していらっしゃいます」
 オメガへの偏見は根強く、特に高齢の社長たちはオメガというだけで取引を拒む人がいるほどだ。
「下手をすると働くのもままならないオメガのために、社長は雇用を増やしてくださいました。オメガは決して劣るものではない、と社長はおっしゃってくれています」
 誇らしげに彼女は言った。
「オメガを優遇しているわけではなく、ベータ、アルファも差別なく雇用しています。」
 どうしてこんな説明をするのだろう、と華凛は疑問に思う。朔から指示を受けているのだろうか。それとも語らずにはいられないほど会社を、社長を、誇っているのか。
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