こわれたおんな
恋われた女

3.

「ナターリヤ、おまえに縁談が来ている」

 成人する少し前のあの日、男の書斎で告げられた言葉に女は絶望した。両親を喪った自分が貴族として生きていけるのは男が『妹』にしてくれたからだ。貴族である以上、家のための縁組を家長から命じられるのは当然のことだということくらいわかっている。
 それでも、いざその時になると感情は大きく揺れ動いた。
 黙りこんだ女を見て男は椅子から立ち上がった。壁際に置かれた長椅子に座り直し、空いた座面を指し示しながら優しく語りかけてくる。

「こっちへおいで」

 女はその指示に従い、男の隣に腰を下ろす。すぐに男の手が伸びてきて頭をそっと撫でられた。この屋敷に来たばかりの頃、両親を思い出して泣く自分に男がそうしてくれたことは今でもよく覚えている。
 使用人の前で泣いてはいけないよ。この書斎と隣の寝室には誰も来ないようにしてあるから、泣くのならここを使いなさい、と言われたことも。
 ここで起きることは全て、二人だけの秘密だと言われたことも。

「おまえをまたこうして慰めることがあるなんて、思ってもみなかった。どうしてそんな悲しそうな顔をするんだい?」
「……いつか、どこかに嫁ぐことになるのはわかっていました。けれど、やっぱり……寂しくて」
 
 貴方と離れるのが、という言葉をどうにか呑み込んで口を閉ざす。この思いは、自分が『妹』である以上決して口にしてはならない。
 ふ、と隣で男が息を吐く。

「寂しいのは私も同じだ」

 男の手が女の髪を梳かすようにしながら下がっていき、耳を掠めてから肩に置かれる。
 男が呟いた。

「おまえがずっとここで過ごせる方法が、ないわけではないのだよ」

 女は弾かれたように顔を上げ、男の横顔を見つめる。女の顔を見ないまま男は言葉を続けた。

「嫁げないような身体になってしまえばいい」

 嫁げないような身体、の意味は複数ある。傷や痣。病に、子を成せない体質。生まれつきのものであったり、成長の過程で発生した不幸であったり。いずれにせよ、本人がなりたくてそうなったわけではない。
 ――たったひとつの例外を除けば。

「おまえももう子供ではないのだから、私の言っていることの意味はわかるだろう?」

 女は静かに立ち上がった。男の正面に向き直ってから淑女の礼をするような優雅な手つきでスカートを持ち上げ、男の膝を跨いで腰を下ろす。
 男にしなだれかかりながら耳元に唇を寄せ、そっと囁く。

「……私を、女にしてください」

 ふっ、と男が笑う気配がした。

「生娘のうちから男を誘惑するようないやらしい妹を、余所に嫁がせるわけにはいかないな。……兄として、躾をしなければ」

 男の手が、露わになった女の太腿を撫でた。



 陽の光に照らされた寝台の上で、女は破瓜の痛みと喜びに涙を流した。シーツに散った赤いものを指し示しながら男が女に語りかけてくる。

「見てごらん。これが、おまえが私のものになった証だ」
「……はい」
「さっき言ったことは覚えているね?」

 覚えている。男は女の傷ひとつない真っ白な身体を撫で回しながら、周囲の者には女を傷物にしたのはかつて両親の命を奪った強盗だと説明する、この関係は二人だけの秘密だ、と言ったのだ。
 下賤の者に穢された女として世間から後ろ指をさされたとしても、妻になれないのだとしても、愛するこの人とずっと一緒にいられるのなら構わない。
 頷いた女を見下ろして、男が満足げな顔をした。

「いい子だ。おまえが約束を守ってくれないと、一緒にいられないのだからね」

 男の指先が、赤いものに触れた。

「ナターシャ。秘密を守ることを、おまえの血に誓おう」
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