財閥御曹司は最愛の君と極上の愛を奏でる

 数分後、衣都の元には淹れたてのコーヒーが届けられた。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 コーヒーがテーブルに届くと、衣都は朝食の皿に手を伸ばした。
 近所にあるという高級食パン店で購入されたクロワッサンは、味も値段も一級品だ。
 普段口にしていた食パンよりもはるかに美味しいはずなのに、置かれた環境のせいなのか味気なく感じられる。

「今日は仕事?」
「はい」

 土曜日のこの日、響の仕事が休みである一方、衣都は仕事の予定だ。
 衣都の休日は教室が休みの祝日と日曜日、あとは担当するレッスンがない水曜日だ。
 大人向けのクラスは一般企業の休みと合わせるように、土曜日に多く開催されており、当然衣都達講師に休みはない。
 なんとか朝食を食べ終え、服を着替え髪をヘアアイロンで整えると、もう出勤時間が迫ってくる。

「いってらっしゃい」
「はい。いってきます」

 響に見送られてマンションを出発した衣都は、からっ風で靡くマフラーを手で押さえながら最寄りの駅までテクテクと歩いた。
 響と暮らし始めたことで、歩いて二十分ほどだった通勤時間が倍以上になった。
 責任を感じた響が運転手をつけようと申し出てくれたが、衣都は必要ないと断ってしまった。
 毎日、運転手に仰々しく送り迎えしてもらう自分の姿が、どうしても想像できなかったのだ。
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