恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた
 肩に触れようとした将吾の手が、誰かにぱしんと弾かれる。聞き慣れた声に驚く暇もなく、文乃は温かい腕に抱き込まれた。

「どうしたんですか高良さん!? どこかお怪我を!?」
「え……う、羽衣石、さん?」

 涙に濡れた頬をそっと掬われれば、息を切らした昴がそこにいた。昼間はバッチリ整っていた髪は乱れて、額にも汗をにじませているのに、そんなことはどうでもいいとばかりに文乃を見詰めている。

「どうしてここに……」
「用事を済ませたついでに喫茶店を見て帰ろうと思いまして」
「ええ……もう閉店してますよ……」
「はい。でも良かった。高良さんがそこの男に絡まれているのを見つけて、慌てて車から降りてきたんです」

 すると、昴はいつになく鋭い眼差しで将吾を振り向いた。

「警察を呼んだほうが良いですか?」
「え、ち、違う、俺は文乃の、」
文乃(・・)?」

 途端に昴が殺気立ち、弁解を図ろうとした将吾は口をつぐむ。一方の文乃も多大な困惑を露わにしつつ、彼の腕をやんわりと掴んだ。

「あの、不審者ではないので、警察は……大丈夫です」
「そうですか。では失礼」
「へ、っひゃ、わ」

 背中と膝裏に腕が回され、軽々と抱き上げられてしまった文乃は、慣れない浮遊感と近すぎる体温にか細い声を漏らす。

 ぐんと高くなった視界に慌て、昴の広い肩にしがみつけば、そのまま彼がスタスタと歩き出した。

 そうして歩道に寄せて停車した一台の車──いや高級車の助手席側のドアをスマートキーで開くと、優しく文乃を座らせる。

「シートベルトをお願いします」
「え、はい」

 促されるまま了承すれば、ドアが閉まる。疑問符を浮かべたままノロノロとシートベルトを伸ばすと、反対側のドアから昴が乗り込んできた。

「あの」
「少し走らせます。ご両親に私と一緒にいると連絡しておいてください」
「は、い……」

 
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