唇から始まる、恋の予感
「ごちそうさまでした」

今度は二人そろって手を合わせた。店を出たときの満足度は、美味しさだけじゃなくて、やり遂げたことの達成感と自身が私を更に前向きにする。すがすがしい気持ちで夜空を見上げると、星が輝いていてとてもきれいだ。

「お待たせ」
「あの、ありがとうございます、これ、私の分です」

当たり前にお金を差し出すと、部長は何も言わずにお金を握っている方の手を繋いで部長のコートのポケットにいれた。
ずっとお金を握ったまま駐車場に行って、車に乗り込むとき私の手にはお金が握られたままだった。

「あの……」
「乗って」

さすがの私も今日はご馳走になればいいのだと言うことを、理解した。

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

普通に礼儀としてお礼を言っただけなのに、部長は私を抱きしめた。

「白石には理解できないかもしれないけど、凄く幸せなんだ」
「私もです」

強く抱きしめられたら、このまま帰りたくなくなってしまって、もっと、もっと一緒にいたいと、欲張る気持ちが出て抑えられない。

「……まだ……帰りたくないです」
「いいよ、ぜんぜんいいよ。帰りたくなるまで付き合うから」

今日帰国して疲れているのを分かっていてわがまままをいうほど、部長が恋しかった。譲れない想いがあって、幸せだと感じられること、その感情が芽生えたことも部長に感謝だ。
どこ行くあても決めないで車は走り出す。ふと私は、あの場所に行きたいと思った。

「部長が以前連れていってくださったあの、見晴台に行きませんか?」
「いいね」

部長が気分転換に行く場所を、私は良くない思い出に変えてしまった所。上書きじゃないけれど、またいい場所に変えてあげたかった。
見晴らし台に着くと、以前とは見る景色が全然違ってみえた。夜空も建物も木もベンチも何も変わっていないのに、全然違う。

「寒いから車の中で見たらいいんじゃないか?」
「はぁ~」

吐く息が白くて、本当に寒い。高台にあるし下よりももっと寒いのかもしれないけど、キンと冷えた空気がすがすがしくて、車に戻るなんて勿体ない。

「寒いけど気持ちがいいですよ。星……!!」

星も綺麗に見えるしと言おうとして、途中で口を塞がれた。
驚いて目をぱちぱちしていると、今度は抱きしめられた。

「可愛すぎるだろ……」

部長がとても温かくて、縋るようにしてもたれる。

「会いたかったです。とっても……」
「俺の全ての瞬間が白石、君だった。辛かったときも、意図せず離れてしまったときも、別れてしまった時も、好きになったときもずっと俺の世界には君がいた。君がいなければ今の俺を説明できないほど俺の全てが君だった」

部長のような人にそこまで言ってもらえる資格が私にあるのだろうか。何をしたってどんくさくて、陰気臭くもあるのに。
部長は自分のコートを広げて、私を包んでくれた。

「―――私には友達もいませんし」
「友達なんかいたって自分の時間が取られるし、付き合いで金だって飛んでいく。良いことなんかないんだからいなくていいぞ」
「友達だけじゃなくて、人付き合いも出来なくて」
「綺麗すぎる人を人目にさらすのは好きじゃないし、俺の大事な人を誰にも見せたくないから好都合だけど」
「自分を好きになるのも時間がかかりそうですし」
「白石が自分のことを好きじゃなくても、俺が好きだからいいと思うけど」
「すべてにおいて私は不器用ですし」
「不器用な生き方を責められる必要もないし、不器用こそが武器になることだってある」
「いじめた人たちを責めたり恨んだりしないっていったけど、本当はどす黒い感情があるんです。死んでしまえばいいとか、いじめられちゃえとか、呪いをかけてしまいたいとか……そんな嫌なことを思う女なんです」
「そんなこと思うのは当たり前だろう? それすらも考えたりしない菩薩のような人間っているのか? 実際、俺がやられたりしたわけじゃないけど、俺は白石をやった奴らは、それ相当の天罰が下ればいいと思っているが?」
「……」
「もうおしまいか? 好きだと言っておいて、嫌われるように仕向けてるのか? それだったら作戦は失敗だな。初めて本心を打ち明けてくれてるのに、それが嬉しくてたまらないのに、嫌う理由なんてないだろ?」
「……」
「私はまだまだ未完成で、未熟ですが、ありのままの私を受け入れてくれますか?」
「当たり前だろう」

当たり前だろうと絞り出すように部長は言った。私が想像する以上に、部長を苦しめていたんだと思うと、私は何を返していったらいいのだろう。

「どうせ俺に悪いとかなんとか思ってたんだろう? そんなのはこれで帳消しだ」

抱きしめていた私をさらに引き寄せて、顔が近づくとキスをした。

「やっぱり冷たい」

一度離したけれど、また深く熱いキスが待っていた。




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