唇から始まる、恋の予感
今度の誕生日が来ると私は30才になる。めったにかけない電話を掛ける。ちょうどお昼ごはんの支度をしている時間かな?

「お母さん? 智花だけど、うん、元気よ」
『今年も誕生日は帰ってくるわよね』
「当たり前でしょ」

いつでも私のことを心配してくれていて、体調は問題ないかと聞きたいのをぐっとこらえているのを分かっている。母親がそのことに触れずにいるのは、聞けば私が悲しい出来事を思い出してしまうから。
生れたお祝いをする日。誕生日は母親にとって、今年も私が生きててくれたと確認する日。
この年齢になっても、私は家族に心配をかけている。

『何が食べたい?』
「お母さんの唐揚げと、グラタン」
『いつも同じね』
「大好きだから」
『分かったわ、沢山つくるからね。楽しみにしてて』
「ありがとう」

痩せていく私をおかしいと思った母親は、私の様子を見に学校に来た。その時に初めていじめられていることを知った。
いつもは穏やかで優しい母親だったけど、火が付いたように怒り、教育委員会、行政へと対応を求めた。

「智花は絶対に悪くない。でもね、いじめた人は反省なんかしないし、智花を苦しめることが楽しみなの。だからあの人たちの望み通りになったらダメなのよ。いじめた人達はどこかへ引っ越し、名前を変え、やったことを忘れて生きていくの。それだけは覚えておきなさい」

中学生だった私は、いじめがばれたら反省して私に謝るのかと思っていた。だけど、母親はそうじゃないといった。
目立ついじめが終わっても、今度は無視という形で私をいじめた。私に接したらまた何かもめるかもしれないという感じがあって、そうなったのかもしれないけど、卒業まで私は孤独だった。
地元を歩けば、同級生に会うかもしてないという恐怖がいつまでもとれず、社会人になってやっと地元を離れることができた。
両親はもちろん反対しなかったし、引っ越せなくてごめんなさいと、逆に謝られてしまった。
長い、長い私の苦しみは終わろうとしている。
残されたファイブスターの時間は少ない。会社に愛着もなく、お金のためだけにいたファイブスターだったけど、こうして辞める決心をつけると、とても寂しい。
まだまだ先だと思っているけど、あっという間にその時は来る。川崎さんにさりげなく仕事を引き継いで、綺麗に退職していこう。
だけど、その前に私にはやるべきことがあった。

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