俺様御曹司からは逃げられません!
 部屋に入った絢人は我が物顔で楓の部屋を突き進み、起きた時そのままの皺が寄ったベッドにドスンと腰掛ける。
 
 そこはかとなく不機嫌そうだ。地獄に門番がいるとしたら、きっとこんな感じで待ち構えているんじゃないだろうか。
 
 冷蔵庫からペットボトルのアイスコーヒーを取り出しながら、楓はビクビクと絢人の様子を窺う。
 だが、よくよく見てみると、彼の顔面に隠しきれない疲労が滲んでいるのに気がついた。

「あの……絢人さん、もしかしてお疲れなんじゃ……?」

 絢人の前に立ち、コップに注いだアイスコーヒーをおずおずと差し出しながら訊ねる。
 コンビニ製の安物のアイスコーヒーは彼の口に合うかどうか分からなかったが、受け取るや否や絢人は一気に飲み干した。いつもより粗雑な手つきでコップをサイドテーブルの上に置き、絢人は鼻を鳴らした。

「ああ、そうだな。先週の火曜からバンコクとシンガポールをはしごで出張だ。今日の昼に帰ってきて、羽田からそのままここに来たから、めちゃくちゃ疲れてる」
「えっ、なんで……早く休んだほうがいいんじゃ……」

 羽田から直行して、あんなところでずっと楓が帰るのを待っていたということだろうか。信じられない。

 楓が呆然としていると、絢人は腿に腕を乗せてガクリと肩を落とし、はぁーーと沈み込みそうになるほど深いため息をついた。

「じゃあ答えろよ。なんで先週、もう会わないなんて言ったんだ?理由を言え、理由を」

 楓を見上げる瞳は先程のような激昂を宿していなかった。翳りを帯びていて、沈痛な憂いが浮かんでいるようにも見える。
 その瞳に魅せられて、つい言葉を紡ぐのを忘れてしまいそうになった。
 
 それでも意を決して拳を握りしめ、楓は口を開いた。

「――だって、絢人さん、結婚するんでしょう?この間、電話で話しているのが聞こえたんです。結婚したい相手がいるって。――私のことは遊びだってわかってます。でも、浮気相手になるのは嫌なんです。だから、もう絢人さんには会わないって決めて……」

 ようやく絞り出した声は震えていた。
 まだ傷は癒えていない。それどころか本人によって抉られる羽目になり、楓の心はズタズタだ。
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