恋愛期限
神様は存在します。
 早朝の道路は健斗君が言ってた通り思ったよりも空いていて、職場に着いたのは少し早目の時間帯になってしまった。
「それではまた。四時に。――お仕事頑張って下さいね」
 入口のすぐ近くに車を停めて、日向さんは私を送り出してくれた。
 最初から最後まで穏やかで話しやすい人だった為か、また上手くお迎えの約束をさせられてしまっていた。
 つまり、今日も私は健斗君の所に連行されてしまうって事で。
(何でこうなっちゃったんだろ……)
 展開が早すぎてついていけない。
 走り去っていく日向さんの車を見送って、私はくるりと身を翻して店の中に入っていく。
 店内に入った瞬間、ひんやりとした冷房の空気が体を包んだ。
 店内に流れる明るい音楽、棚に並んだ食品、生活用品。
 心地いい空間だ。五年間、慣れ親しんだ空間。
「おはようございます」
 カウンターで店番をしていた岸田店長を見つけて声をかけると、店長もおはよう、と返してくれた。
 いつも通りの光景。
「どうしたの?今日、来るの早くない?」
 店長が壁の時計を見て訊ねて来た。
 就業時間までまだ二十五分もある。
「ちょっと事情があって……」
 まさか昔の知り合いに拉致されていたと説明する訳にもいかず、私は言葉を濁してごまかした。
 ただでさえ今は店が大変な時なのだ。余計な心配までかける訳にはいかない。
「時間まで、ちょっと事務所で待機させてもらっていいですか?」
 うまく話題を逸らしつつ、会話を繋ぐ。
「ん-、いいよー」
 店長も私の気持ちを察してか、それ以上は踏み込んでくる事なくただ気持ちのいい了承の言葉を笑顔と共にくれただけだった。
(ああ、いいなあ……)
 これよこれ、この呼吸、と私は感動を密かにかみしめた。
 今までごく当たり前だと感じていたものがこんなに尊いものだったとは。
 通じない相手に出会ってしまったからこそ有難さが分かってしまう。
 私は気持ちを落ち着けるスイッチ用のカフェラテをひとつ買って、従業員の休憩室も兼ねた事務所の中へ入った。
(よし) 
 朝食には昨日残ったピザを頂いて来たので、お腹は満たされている。
 片付けなければいけない問題は沢山あるけど、体調もすこぶる良い。絶好調だ。
 今からはお仕事の時間。
 私はロッカーに荷物を入れて制服に着替えを済ませると、用意されている従業員用のテーブルに腰掛けて、さっき買ったカフェラテを飲み始めた。
 ゆっくりと広がる甘さに、心身が癒されていく。
 一通り業務連絡をチェックしながら始業時間を待っていると、その静寂を破って突然、電話の音が響いた。
 まだ業務は始まっていないけど手は空いていたので、立ち上がって店長の机の上にあった電話の受話器に手を伸ばす。
「はい、ポプラモルトです」
 いつも通りの、定番の対応。
『お忙しいところすみません。あの、お伺いしたいんですけど』
 受話器越しに聞こえてくる話し方から察するに、相手は取引先や仕事関係の相手ではないようだった。
 二十代位だろうか。女性の声だった。
「はい、どうぞ」
 商品の在庫の確認?取り置き?
 などと有力なケースをいくつか頭に思い描きながら、私は相手の返答を待った。
 だけど、相手から出て来たのは全く予想もしていなかった発言だった。
『――そちらで今、バイトとかパートの募集とかはされてますか?』
 良ければ面接をお願いしたいんですけど、と私の耳にはそう聞こえて来た。
 聞こえた。確かに聞こえた。
「ば、バイトの面接ですか?」
 でもあまりの信じがたさに、私は再度無駄に確認を取ってしまう。
 だって、嘘。あれだけ待って待って待ち焦がれて、それでも来なくて。
 なのに。
 驚きを隠せない状態の私に、電話の相手は間違いなくはい、と返してきた。
「お待ち下さい、責任者に代わります」
 してます。思いっきりしてます。ぜひ来てくださいうちの店へ……!!
 と、即座に返したくなる気持ちをこらえて、私は電話機の保留のボタンを押す。
 やり取りを終える直前にお手数おかけします、という発言が聞こえた。
(来た、来た……!!)
 念願の面接希望者。
 しかも何かすごくしっかりしてそうで、かなり感じのいい人。
 私はドアを開けて、事務所内からカウンターにいる店長に向かって呼びかけた。
「店長!電話です」
 ちょうどお客さんもいなくて、備品の補充をしていた店長は
「あー、電話取ってくれてありがと」
 と私に向かって言って来た。
 一応子機が店内にもあるのでそちらの方でも電話は取れるようになっているので基本は業務中の人が取るのが普通だからそう言ってくれたんだと思うけど、今はそんな事どうでもいい。 
 店長が一緒にシフトに入っていた田中さん(40歳男性)に電話出るからカウンターお願いしますと伝えて、のんびりと事務所の中に入ってくる。
「店長、面接。――面接希望の電話ですよ!」
 大切過ぎる、最重要伝達事項をはやる気持ちで伝える。
 それまでのほほんと構えていた店長の表情が、変わった。
「――本当?」
 目を丸くした店長に、私はこくこく、と二度頷く。
 神様はやっぱり存在した。存在するんだ。
(見捨てられてなかった……!!)
 うん、私正直に生きよう。人に優しくする。
 胸の奥でそう誓いをたてた私を背にして、店長は受話器を取って保留ボタンを解除し、通話を始めた。 
 
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