虐げられ未亡人はつがいの魔法使いに愛される

02 フローラ

 

 イリスは物置部屋に閉じこめられていた。抵抗するイリスの腕と足はしっかりとロープで結ばれていて、部屋の中と外に一人ずつ見張りの使用人が配置されている。
 辺境伯は何があってもイリスを外に出すつもりはなさそうだ。

 ただでさえ狭い部屋の中で、ジッと監視されると精神的に疲弊する。
 それでも窓の外を見て夜になったことを知ったイリスは期待を一つ浮かべていた。


 ノックが聞こえたかと思うと、気分を心底悪くする相手が現れた。

「やあイリス、気分はどう?」

 ニヤニヤと笑みを浮かべて入ってきたのは義兄だ。

「私が今から彼女を監視するから。君は外していいよ」

 困惑する監視の使用人をさっさと追い出して、彼はイリスの隣に座った。
 隣というには密着しすぎている。生温かい体温が気持ち悪い。

 花蜜病が感染病でないことを調べた義姉夫婦は日中も嫌味を投げかけにこの部屋に訪れていた。
 しかし今は嫌がらせをしにきたわけではないらしい。

「ずっとイリスと二人になりたかったんだ」

 そういって義兄はイリスの手を握った。汗ばんだ手のひらがべったりとイリスの手に絡みつく。

「君はこんなに美しいのに君の夫は役に立たなくて寂しかっただろ」

 熱っぽい表情を浮かべる義兄にイリスは黙っていた。
 この男のこの瞳がずっと嫌いだった。この二年間の生活で一番嫌悪したものだった。

「誰かのアピスになんかさせるもんか。君の初めては私の物だ」

 そういって義兄はイリスを抱きしめ、キスをしようとした。
 イリスも受け入れるように義兄の首に腕をまわして――

「ガッ……」

 首に魔法で電流を流された義兄は倒れこむ。気絶しているようだ。
 イリスはロープを炎で焼き切り、無言で立ち上がると転移魔法を使った。


 転移魔法を使った先は採掘場だ。転移魔法も全能ではない、距離は限界がある。
 採掘場に行けば馬がいる、その馬でできるだけ遠くまで走って辺境伯の息がかからない場所まで行こう。
 妹が人質でも、国に伝えることさえ出来れば罰を受けるのは辺境伯だ。妹に手がかかる前に罰されるだろう。
 ここから逃げ出しても大丈夫、まずは逃げて誰かに伝えなくては。イリスはそう考えながら厩舎に急いだ。


 義兄を使う作戦は一か八かであったがすんなりうまくいった。昼に嫌がらせにきたときにこっそりと「夜に」と伝えたのが本当に効くとは。
 二年間、舐めまわすような熱視線を浴びていたことが自意識過剰でなかったことは心を暗くしたが、ここから出れば二度と会うこともない。


 ――しかし、厩舎で待ち構えていたのはベルトラン辺境伯であった。隣には知らない男性もいる。


「お義父様……」

「やはりこうなったか。しかしもう無駄だ、戻りなさい」

 小さく笑った後に低い声で彼は続けた。

「この方は魔術師だ。結界が得意だそうで、これでお前の魔法を封印できる。
 それからお前の地元にも何人か派遣した。もう着いている頃だろう。逃げ出せば即座に妹を殺す」

「……」

「ここから王都までは一日かかる。それまでに妹の命は消えるだろうな」

 辺境伯の覚悟に触れて身体は完全に固まってしまっていた。まさかここまでするとは。
 そんなイリスを見て、辺境伯は子供をあやすような笑顔を作った。

「もう逃げ出す気はなくなっただろう?外に出すのは難しいが、自室に戻ることは許そう。
 さあ、ついてくるんだ」

 唯一のチャンスは失敗に終わった。逃げ場がなくなり戦意喪失したイリスは着いて帰るしかなかった。



 ・・

 五日が経った。
 自室に戻らされたが、見張りは常に立っていてロープで縛られ手足の自由もない。
 身体は痛いが、それよりも心が痛かった。

 フローラのことを思うと恐怖が襲ってくる。
 この世界のどこかで、アピスが名乗り出ることを待ちながら、自身の身体が花に変わっていく恐怖と戦っている人が確実にいるのだ。

 そして、フローラと妹を天秤にかけてしまっている自分に対しての自己嫌悪で、イリスの心は打ち砕かれてしまっていた。

 しかし自分がなんとかしなければ、ここにアピスが存在するということすら誰も知らずにフローラの命は散ってしまうのだ。
 時限爆弾を待っている気分だった。しかし、フローラの方がもっと恐ろしいだろう。フローラの気持ちを想像してはまた絶望した。


「イリス、仕事の話がある。来てくれるか」

 いつの間にか入室していた辺境伯に声をかけられた。使用人に連れられて虚ろな目でノロノロと階下に向かう。
 作業員たちへの伝聞を恐れて、採掘場へ行くことは禁じられていたが、イリスがいないと作業が滞るため一日一度は辺境伯と話をする時間があった。

 まだ、まだ絶望してはいけない。フローラのためになんとかしなくては。

 辺境伯がリビングのソファに座ったのを見届けた、イリスはもう一度嘆願した。

「お義父様、お願いです。どうかフローラをお助けください」

「なんだまたその話か。その話は終わっている、時間がない。仕事の話をするぞ」

「いえ、聞いていただけるまでは今日は仕事の話はしません」

「何様のつもりだ」

 激昂した辺境伯の声に身はすくんだが、今日が最後のチャンスでもいい、粘らなくては。


「これからも仕事はします。逃げ出しません。しかしフローラの命は助けてください。
 結婚といっても、その方の家に嫁がずフローラにここに住んでいただくのはどうでしょうか」

「なぜそんなことをしなくてはならない」

「フローラの命が救えますし、ベルトラン領の収入も落ちません。
 この館に住まわせなくとも、別の場所でもいいのです、近くであれば」

「……」

「何か勘違いしているな」

 辺境伯はこれみよがしに深いため息をついて見せる。

「フローラは誰なのかわからないんだ。平民ならまだいい。相手が我が家より格上の貴族だったらどうする」

「……それはそうですが……っ!」

「そのリスクを考えると、フローラに死んでもらうしかない」

「しかし国に今回のことが露見すれば私は罰せられます。
 数カ月後に私は罪人としてここから去ることになるかもしれませんよ」

「お前は監禁されていたことにすれば大丈夫だろう」

「そうしたらお義父様が捕まるでしょうね」

「お前を愛している男が嫉妬で監禁していたことにしよう」

「まさか……」

 脂ぎった顔が思い浮かぶ。あれすらも駒の一つか。

 辺境伯は何倍も先回りして考えている。ベルトラン家の収入はイリスの魔力で倍増したが、元々領地経営を成功させていたのは彼だ。辺境伯の狡猾さを目の前にしてイリスはその場に座り込んでしまった。


「さあもうわかっただろう。お前は心配することはないんだよ」

 優しい声を出した辺境伯は立ち上がってイリスの手を取る。「さあこちらにおいで」

 その優しさが怖い。言葉が通じないことが怖い。手の中にいることが怖い。


「なるほど、そういうことだったんですね」

 突然聞き慣れない声が響いた。空気にそぐわない気の抜けた声だ。

「誰だ」

 辺境伯が立ちあがって見渡すとリビングの入り口に若い男が立っている。知らない――いや、イリスは彼を知っている。
 赤色のサラリとした髪の毛は肩で切りそろえられていて、背は高いが女性のようにスラリとした上品な顔立ちの男だ。

「やあ、久しぶりだね、イリス」

「あいつは誰だ」

 鋭い目つきで辺境伯がイリスを睨んだ。

「私の元同級生です、学生時代の」

「はい元同級生で、それからイリスのフローラのアンリ・ミィシェーレです。どうぞよろしく」

 アンリは涼しい顔でそう名乗った。イリスの隣で辺境伯が息を呑む音が聞こえる。

「貴様どこからきた!捕らえろ!」

 辺境伯が動揺しているところを初めて見たとイリスは思った。

「首席のイリスには及ばなかったけど、僕も次席でなかなか優秀なのですよ」

 チラリとアンリが目を向けた場所には、使用人たちが蔦で縛られているのが見えた。魔法でぐるぐる巻きにされたのだろう。
 彼は一歩また一歩と辺境伯とイリスに近づいてくる。

「ところで僕のアピスはイリスで間違いないんだよね?」

 辺境伯には目もくれず、アンリの瞳がイリスを捉えた。

「ええ、私がアピスよ」

「よかった、香りがするからそうだと思ったんだけど正解だ」

「香り?」

「そうだよ、アピスが名乗り出ないから香りを頼りに探しに来たんだ。
 フローラだけじゃなくて、アピスもほんの少し同じ香りがするみたいで」

「バカな、王都から香りを辿ってきただと!?」

 唾を飛ばしながら辺境伯が叫んだ。

「はい、こちらプレゼントです」

 いつのまにか二人のすぐ近くまでやってきたアンリは真っ白な花束を辺境伯に押し付けた。

「イベリスの花です。アピスに手続きをしてもらえないものだから、僕の身体にたくさん咲いてしまって。
 花束にしたので受け取ってくださいね」

「ひ……。」

 笑顔で花束を押し付けるアンリに圧倒されたようだ。花束を受け取らされてソファに座り込む。

「ほら、イリスが得意な探索の魔法と同じですよ。鉱脈探し当てるのにサーチを使ってますよね?
 彼女が嫁いだ後にベルトラン家の収益が上がっていたので、彼女の力だと思っていましたが違いましたか?」

「……」

 辺境伯も圧倒されているが、イリスも驚いて頭が真っ白になっていた。
 まさかフローラがこの場に現れると思っていなかったうえに、フローラがアンリだとは。

「彼女を手放すのは惜しいと思いますが……とにかく義務ですし、国で保護しますね」

 ニコリと笑顔を作ってアンリはイリスの手を取った。

「おいイリス、地元の妹がどうなってもいいのか――」

 すぐに辺境伯はイリスに鋭い言葉を投げるが、柔らかいアンリの言葉がそれを制した。

「僕は一足先に来ましたが、今ここに国の騎士団も向かっています。」

「な……!」

「きっとあと数分でつくと思いますが、罪は重ねない方がいいと思いますよ?
 今なら僕が減刑を求めてもいいですけど、どうですか?」

 それ以上辺境伯はもう何も言えなかった。花束を握った手が怒りで震えている。

「では失礼しますね。じゃあイリス行こうか」

 そう言ってにこやかに笑いかけてくるのは、本当にあのアンリなのだろうか。
 毎日過去を思い出して自由を夢みていたイリスにとって彼を思い出さなかった日はない。そのアンリが目の前にいるのだから夢と思っても仕方ないのだった。
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