振り返って、接吻


俺と宇田のことを知っている人ほど、信じられないことだろうけど。

俺は、宇田のことが大好きだった。優しいし頼もしいし面白いし、頭が良くて何でもできる人気者の宇田は、人見知りな俺にとって、憧れにも近い存在だった。

だけど、忘れてはいけないのが、宇田は〝努力の人〟であることだ。明確に定めた目標に向かって、彼女は努力して、あらゆる地位を築いてきた。

そう、俺とは違って。


「わたし、由鶴のこと、嫌いだったことは一度もない」

「無かったことにするの?」

「ちがうよ、」

「オマエがそのつもりなら、俺は合わせるけど」


宇田と俺は、よく似ている。生まれも、環境も、考え方も近いものがある、運命共同体だ。

そんなふたりは外から見るとお似合いだけれど、お互いにとっては自分との比較対象になるのは当然のことだった。


俺は、宇田にだけは勝てない。仕方がないんだ、俺が先に惚れてしまったから。



「ずっと、由鶴のことを大切にしたかった」



宇田は綺麗にマスカラが塗られた睫毛で頰に影を作って、切ない笑みを浮かべた。

それなのにね、と続ける彼女はなんだか弱々しくて、さっき婚姻届を提出したばかりの女性には見えなかった。


「みんなから愛される由鶴を、わたしだけは嫌いになりたかったの」


今ならわかる、ぜんぶ、わかる。

でも、あの頃の幼い俺には、ただ傷つくことしかできなかった。

こんなに近くにいるのに、宇田の痛みは宇田にしか分からない。俺はきっと、他人の痛みに鈍感だ。

無知は恥だ。いつも先を歩いている宇田のことを知りたくて、手を伸ばすけど、けっきょく俺は宇田に届かない。


そして、そんな俺のことが、宇田は嫌いだ。

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