振り返って、接吻
宇田は動揺したり照れたり、顔を赤らめたりなんてしない。
少なくとも、俺の前では一度も。
「こんなにも魅力に溢れた男性であるのに、どうして卑屈になられるんですか?」
魅力、か。心の中で繰り返す。
あまり他人と接触したがらない上司に対して、思わず声に出してしまったのだろう。俺は少し苦笑を漏らした。
容姿や家柄、経済力や権力、そういった人気へと直接的に繋がるもの肩書は昔から他人よりも秀でていた。学生時代はそれに加えて成績や運動能力もかなり優秀だった。
でも、それらすべて、本当に認めてほしい相手にはまったく魅力としての効果なんてないように思えてしまう。
学生時代、幾度となくかけられた『宇田さんの隣に並べるのは、深月さんしかいない』という言葉。
俺はその言葉に酔いながらも、決して並べてなどいない自覚をしていた。 だって、俺が他人から『魅力』として異様に高く評価されるものたちは、どれも宇田凛子に及ばないのだ。
あの女は、必ず俺の手前をふらふらと歩いている。
そして、振り返って、さも隣を歩いているかのように笑うのだ。
俺は、宇田と並びたいと思ったことなんてないし、むしろ、俺はあの頭のおかしな女の後ろをついて行くのが好き。彼女の進むところに間違いはないし、もしそれが世間の言う悪だったとしても俺にとってそれこそが正義。
だから、彼女のすぐ後ろを離れないために、俺は自分の『魅力』と呼ばれるものをきちんと理解して、それを利用してここまできたんだ。
たとえば、そう。
「俺のこと魅力的だなんて思ってくれていたんだ?」
こうやって、適当に甘さを含む音色を出すことも。
「副社ちょ、」
「嬉しいよ、さ、仕事の続きをしよう」
宇田以外のために出す自分の声は、たとえどんなに優しい言葉を紡いだとしたって、なんの感情も込められていない。それは空気を震わせるだけの音だ。
だって俺は、いま、首まで赤く染めた秘書を見ても、なんの感情も動くことがないのだから。