凄腕外科医は初恋妻を溺愛で取り戻す~もう二度と君を離さない~【極上スパダリの執着溺愛シリーズ】
「よし、行こうか」
そう言う宏輝さんの背後で、高岸先生が保育室に入っていくのを見つめた。それから目線を上げると、見たことのない表情をした宏輝さんと目が合う。
辛そうな、切なそうな、苦しそうな、悔しそうな、耐えるような、そんな顔。
「あの……高岸先生は……」
「……悪い。詳しくは、また」
宏輝さんが拳を握っている。首を傾げて祐希を抱き上げた。
祐希を叔父さんに預け、私たちは家に向かう。その途中で、宏輝さんが「よければ」と少し沈んだトーンのまま唇を動かす。
「軽く呑みにいかないか?」
私はちょっと迷ってから頷いた。ゆっくり話したいというのもあったし、なにより考え込んでいる宏輝さんが心配だった。
白川通まで出てタクシーを止め、彼に連れられてきたのは京都の飲み屋さん街、先斗町。
鴨川のそばにあり、歴史を感じられる町屋が立ち並ぶ一角だった。夕陽に照らされた格子窓が続くその街の、さらに「一見さんお断り」の格式高い一角に宏輝さんは迷わず入る。夕方になり開店したばかりのバーのようだった。
「こんばんは」
「おや、上宮様。ご無沙汰をしております」
その店に一歩入った私は思わず感嘆の声を漏らす。黒に近い飴色に磨き込まれた柱や床板を温かな色の間接照明が照らす。元の町屋の良さを消さないように気を遣ったのがよくわかるバーカウンターに、まだ誰も座っていない、そう高くない椅子が並ぶ。京都は着物の女性が多いから、そこに配慮してあるのかもしれなかった。たしかにこのお店に着物はよく合うだろう。
そこまで考えて、自分の服装に思い至る。着古したグレーのパーカーに黒いチノパン、それから履き潰しかけのスニーカー。恥ずかしくなって身を縮める私の肩を引き寄せ宏輝さんは言う。
「こちら、俺の婚約者です」
バーテンさんは一瞬だけ目を丸くする。それはそうだろう、彼の婚約者は北園華月さん、そんなふうに共通認識が出来上がっていた。それを、こんな薄汚れた女を連れてきて「婚約者だ」といえば戸惑うのと当然だ。
けれどさすがは接客のプロで、すぐににこりと微笑み「おめでとうございます」と私に向けて口にする。
無言で首を振るも、彼は笑顔のままだ。
「個室はあいていますか?」
「はい、どうぞ」
バーテンさんに案内され、奥まったお座敷に上がる。間接照明だけの、四畳半ほどの空間に床間と小さなテーブルが設えてある。ただ向かい合って座るのではないらしい。座ることのできる場所は、ふたりがけのソファひとつだけ。
床間に生けられているのはひと枝の桜だ。ふたつみっつ、控えめに咲いているところがかえって綺麗だと思う。
「ここは日本酒のバーなんだ」
私をエスコートするようにソファに座らせ、彼もまた私の横に座ってくる。