魔獣鑑定士令嬢は飛竜騎士と空を舞う
「あっ、ヒース様」

 噴水近くに座っていた男性がヒースに挨拶をして、場所を空ける。どうも、ヒースはこの町の誰からも声をかけられてしまうようだ。ナターリエは「わたしが一緒にいると、お困りかしら」となんとなく不安になる。

「ヒース様だ!」
「こんにちは! ヒース様!」

 ヒースは走る子供たちに手をあげてから、噴水の台座の淵に腰を下ろす。

「ふふふ」
「なんだ?」
「ヒース様は、人気があるんですね」
「顔が知られているだけだ。さあ、食べるといい」
「はい。では、いただきますね」

 手にしたパイの角を、ぱくりと食べるナターリエ。作りたてだったのか、まだ温かい。じゅわっと中に詰められている肉を噛むと、肉汁が溢れる。

「に、肉、が、案外かたまり、ですねっ?」
「うん? そうだが……あっ、細かくしたものを想像していたのか」
「は、はいっ……」

 ミートパイのようなものだと思っていたのに、とナターリエが言えば、ヒースは笑う。肉を加工した時に出た切れ端を使ってそのまま煮込むので、大きい塊がたまに混じっているし、小さいのもそう小さすぎないのだと言う。要するに、触感も何もかも、個体差があるのだと言う。

「塊肉が食べたいやつは、重さを手で測って買うが、重たいからと言って塊肉というわけでもないんだよなぁ」

 そう言ってヒースもパイにかじりつく。しゃくっという音が耳に響いて、ナターリエは隣に座るヒースを見る。

(本当にヒース様って)

 最初にグローレン子爵邸で見た時はそうは思わなかったが、貴族令息らしいのに「らしくない」と思う。

(でも、それはわたしも同じかもしれないわ)

 そう思いながらパイを齧る。そうだ。自分だってそうではないか。魔獣に憧れて、魔獣鑑定士になって。伯爵令嬢らしさ、で言えば相当自信がない。王族の一員になるための教養をどうにかこうにか学習をしようと試みたが、どうにもあまり身につかなかったし。

「どうした? 何か、考えている顔をしている」
「いえ、なんでも、ありません」
「……王城のことなら、今日は忘れてくれ。折角の祭りだ」

 そう言われて、ナターリエは「あれ?」と思う。王城のこと。いや、それについてはまったく考えていなかった。良い意味で忘れていた、と思う。

「……いえ……それは」
「ん?」
「わ、忘れ、て、いました」

 恥ずかしそうにうつむきがちに言う。

「そうか」
「ヒース様を、貴族令息らしくないと思って、見ていました」
「んんっ!?」

 ナターリエの言葉に驚いて、ヒースは咳き込む。

「大丈夫ですか!?」
「ふあっ……! あ、ああ、大丈夫だ。いや、言われれば確かにその通りなのだが……ははは、すまないな」
「いいえ。その、わたしも……そこまで貴族令嬢らしくないので……」

 買い食いはしたことはなかった。それは、伯爵令嬢らしいと言えばらしい。なので、少しだけ言葉が淀むナターリエ。

「まあ、そうなんだよな」
「え?」
「リューカーンも言っていたが、リントナー家はもともと猟師の家系でな」

 そう言いながらパイを食べ終えたヒースは、指についている油をハンカチで拭く。

「王城にもそうそう行かないし、まあ言っても田舎の騎士ということで大目に見てもらっているが……なかなか、貴族らしさがないんだよな。姉貴をみてもわかるだろう?」
「はい……」

 それは確かにそうだと小さい声で賛同をするナターリエ。

「俺も姉貴も、お袋を亡くしたのが結構小さい頃でな。母上が嫁いで来るまでの間、結構やさぐれていて……そんな俺達を、今のように適材適所で働けるようにしてくれたのが、母上なんだ。魔獣討伐や散策のために別荘を使おうと言い出したのも母上だし、竜舎を建てようと言い出したのも母上だ。親父は、家から俺が出ることに不安があったようだったが、出てみたら逆にうまく回りだしてな」
「まあ。そうだったのですね」
「俺は、次期辺境伯はブルーノに譲ろうと思っていたし……才覚がどうのという話ではなく、そうした方が、母上がリントナー家にいやすいのではないかと思ったからだ」

 ナターリエはパイ食べる手を途中で止めて、じっとヒースを見る。それを「食べながら聞いてくれ」と笑われ、恥ずかしそうにうなずいた。

「だから、誰とも婚約をしなかった。みな、俺をリントナー辺境伯の跡継ぎだと思っているからな。そして、俺もそうではないとは言わなかった。ブルーノに余計な期待を幼い頃からかけたくなかった。それらの説明をするのも面倒だったし、まあ、いっそずっと一人でいるのも良いと肩肘張っていたんだ」
「あ……」

 なるほど。ようやく、何故彼に婚約者がいないのかがわかった。ナターリエは「なるほど……」と曖昧に頷く。

「だが、母上は、そんな気遣いは不要だと言ってな。むしろ、俺が辺境伯に向いていると言った。今は、ブルーノは比較的おとなしくて本の虫だが、数字には強い。大きくなれば、多くの書類を扱ってくれるだろうし、良い右腕になるのでは、と親父と話している。とはいえ、俺は、その、やさぐれていた頃があるし、ちょっと……以前も言ったが、言葉遣いもいささか荒い。いや、姉貴よりは相当マシだと思っているんだが……」

 さすがにそれに「そうですね」と即答は出来ず、ナターリエはパイを食べ終えて指を拭く。

(でも、王城でのヒース様はきちんとなさっていた。きっと、ヒース様も努力をなさっているんだわ)

 口端にハンカチを押し当てるナターリエに、ヒースが尋ねる。

「そんなわけで、俺は随分貴族子息らしくないが……嫌いか?」
「いいえ……あっ……」

 貴族子息らしくない、ということについて聞かれたのだと思った。あっさりと「いいえ」と答えてしまったが、ヒースはどう思っただろうか。ナターリエの鼓動はばくばくと高鳴ったが、ヒースは軽く笑う。

「それなら、いい。さあ、あっちを見に行こう」

 そう言うと、ヒースはナターリエの手をとって立ち上がった。ぐい、と引っ張られて、ナターリエもまた、慌てて立ち上がる。

(手……)

 まるで当たり前のように伸ばされた大きな手に包まれる、小さな自分の手。だが、それは決して当たり前ではない。初めてのことだった。どうして彼が自分の手を掴んだのかはわからなかったが、ナターリエは何も言わず、彼の体温を感じて小さく息を吐き出した。
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