源次物語〜未来を生きる君へ〜

第39話〈土浦空襲の奇跡〉

 6月10日……阿見町にある土浦海軍航空隊とその周辺地区が大規模な空襲に見舞われた。
 「阿見大空襲」とも呼ばれたその日は日曜日で……面会人で賑わっていた兵舎周辺は500キロ爆弾の雨で火災となり、土浦海軍航空隊のうち生き残ったのは約3分の1で練習生182名が戦死した。 
 予科練生や教官、近隣住民など合わせて370人以上が亡くなり、周辺の地域を含めた茨城の「日立空襲」としては死者約1200人の大空襲となった。

 僕達が急いで土浦に着くと、以前見た景色とは全く違っていて……
 基地の方に向かう道中、性別が分からないが座っている状態で全身が黒くなった方が必死に手を伸ばしていた。

「あっあの人、生きてるかも……」

「み、み……ず……みず、を、下、さい」

 僕は直ぐに近くの水道管から吹き出していた水を、落ちていた茶碗に溜めて手渡した。

「ハイ、どうぞ」

「あんた! 水をあげちゃ駄目だ!」

「え?」

 おじさんの声に振り向いた後に視線を戻すと……その方は既に息絶えていた。
 おじさんによると水を飲んだ事によって安心して、生きる気力が途絶えるらしかった。

「ごめんなさい……僕のせいで……」

「お前のせいちゃう! お前は『水が飲みたい』っちゅう、この人の最後の願いを叶えたんや! こりゃあ基地の方もえらいことになっとるかもしれん……先に行くぞ!」

 僕達は手を合わせてから先へ進んだ。
 僕は走りながら、いつの間にか叫んでいた。

「人が……人の上に……爆弾を落とすな! もうこれ以上……人の……命を奪うな!」

 先に食堂に着くと、一部被弾していたものの焼け残っていて安堵したが……中には誰もいなかった。
 土浦の基地に着くと、本当に酷い状態で……あちこちに凄まじい爆撃の跡があった。

 予科練の象徴だった雌雄の松も被弾して激しく損傷し、手術室は大勢の予科練生などが運び込まれている様子で南側の病棟も被災していた。
 平井くんを探して走り回っていたら、焼け残った病棟の中に右腕の先を包帯でグルグル巻きにされた平井くんと、由香里ちゃん達がいた。

「平井! よかった……お前生きてたんだな!」

「平井くんも由香里ちゃん達も無事でよかった……」

「平井は怪我して辛いやろうけど、取り敢えずみんな生きててよかったわ……この有り様……一体、何があったんや?」

「今は聞かないであげて下さい!」

「いいんだ、由香里さん……僕には伝えなきゃいけない義務がある…………8時少し前位かな……突然、空襲警報のサイレンが鳴って『空襲! 総員退避!」って誰かの声がして……ズシーンていう爆発音と地響きがしてからは本当に地獄のような有り様だったよ…………防空壕が集中的に狙われてね……中にはキチンと椅子に座ったまま上半身が真っ黒に焦げた子や顔が真っ赤に倍に膨れ上がった子……本当に多くの焼け焦げた予科練の子達がいた……」

「平井さん、無理しないで……」

「みんなが鹿島に移ってからね、整備部の仲野くんていう友達ができたんだ……落ち込んでた僕に声を掛けてくれて、面白くていつもふざけて、みんなを笑わせてた……今朝は抜けるような青空で、日曜日だから面会やらで賑やかで……いつものように門で待ち合わせて仲野くんと食堂に行こうとしてたら警報が鳴って…………僕は食堂の由香里さん達が心配で門を飛び出したけど、仲野くんはみんなが心配だから戻るって……」

「平井さん、もうやめましょう?」

「食堂から戻ったら仲野くん、頭に爆弾の破片が刺さって仰向けで死んでた…………最後の瞬間……どんな思いで空を見上げたんだろう……痛いよね? 苦しいよね? 怖かったよね?……なのに一人で置き去りにして…………本当にごめん……僕は何にもできなかった……」

「平井さんは母ちゃんを助けてくれたじゃないか! 母ちゃん庇って右手無くなるような怪我してるのに……必死に僕達を守ってくれたじゃないか! 出血してるのに治療を受けてからも走り回って倒れて…………ありがとう、母ちゃんを守ってくれて……お願いだから、もう無理しないでよ!」

 由香里ちゃんの弟の和男くんが泣きながら言った。

「それは、僕と違ってトミさんはみんなに必要とされてる『土浦のお母さん』だからね……特攻のニュースを聞く度に、自分は出撃しない安全な所にいて若い子達を送り出してるのがつらくて……16、17歳の少年達が訓練を受けて頑張ってるのに自分は何やってんだろうってずっと苦しかったから、少しでも救援にまわりたくて…………倒れるなんて本当に不甲斐ないよな」

「まだ出血してるのに無理するからですよ……」

「そういえばトミさんは?」

「平井さんのおかげで無事で、今はみんなのために炊き出しやってます。手伝いたいけど、それより平井さんが心配で……」

「僕の事はいいよ……これからも気に病むことはない…………君達の重荷になりたくないんだ……僕の姿を見ると気を使うだろうから、もう食堂にも行かないから安心して?」

「なにそれ…………勝手に決めて、勝手にいなくならないでよ! 僕と違って必要? あんた自分の事、いらないとでも思ってんの? 私はあんたが好きなの! あんたが誰より必要なの!」

「それは恩を感じるとか同情の気持ちからですよね……だったら……」

「あんたを好きになったのは今日よりずっと前よ、バカ! 篠田さんが好きって言ってんのに、毎週毎週、バカみたい通ってくだらない話して……寒い時期になったら急に来なくってどうしたのかと思ったら『風邪引いて、うつしたくなかったから』って笑って店、手伝って……」

「由香里さん、落ち着いて……」

「私が『何でそんなに助けてくれるの?』って聞いたら、『僕は君を守ると決めたんです……多分あなたが生まれるずっと前から』って…………あんたみたいな奴タイプじゃないって思ってたのに、そんな事言われたら好きになっちゃうじゃない!……男が一度守ると決めたんなら、最後まで責任取りなさいよ!」

「そ、それは結婚? という事でよろしいんでしょ……」

「それはまだ早い!」

「ですよね〜まだお付き合いもしてないのに結婚だなんて、バカだな僕……」

「ほんと鈍感なんだから……で、どうするの?」

「由香里さん! 僕の恋人になって下さい!!」

「…………はい……」

 由香里ちゃんは真っ赤に照れてそう言うと、泣きながら平井くんの胸に飛び込んだ。

「いや〜最悪な事態を覚悟して土浦に来たが……本当に……本当によかったわ〜」

 僕達は平井くんの無事と思わぬ展開を喜び合った。

「平井が落ち着いたらさ……みんなでホタル見に行かへん? 去年約束したやろ?」

「篠田さん! 覚えててくれたんですね!」

「ああ……本当は去年行こうとしたんやけど、隊の車に隠れて行こうとしたら見つかって上陸禁止になってもうて……」

「なんだ、それで〜相変わらず篠田さんは豪快だわ。そういえば篠田さん……この間は弟に、ありがとうございました」

「え? ヒロって、この間も来たの?」

「ああ、百里原に戻る前にちょっと用があってな……」

 平井くんは幸い早く落ち着いて、右腕に包帯を巻いた状態で外出を許可された。
 僕達は今まであった色々な事を報告し合い……
 頃合いを見て、鹿島の後に別々になったものの百里原で再会した坂本くんが散華した事や、手紙や詩集で伝えたかった想いの事を話すと、平井くんは号泣して暫く寝込んでしまった……が……「やっぱりホタルを見に行こう?」と涙を拭いて起き上がった。

 ホタルを見に行く日の昼、島田くんが意外な事を言った。

「平井……ちょっと写真撮らせてくれ。お前だけ写真を撮れてなかったから、お前の写真を丸く切り取って右上に貼ろうと思って」

「え……それってなんか縁起悪くない?」

「…………冗談だ」

「アッハッハ〜お前の冗談、初めて聞いたわ」

「ほんと、写真撮ろうとかも意外だし……」

「うるせえ……」

「ねえ、ちゃんと並んで五人で撮ろうよ! 坂本くんが真ん中で、右側が僕と島田くんで、左が高田くんと篠田くん……っていうのはどうかな?」

「平井お前、ええこと言うがな〜よっしゃ」

「ハイ〜みんな並んだね?……って表情固くない? 笑って笑って〜坂本くんが笑いながら困ってるよ〜?」

「じゃあさ、掛け声を『ハイ、同期!』ってするのはどう? そしたら自然に笑顔になるよ?」

「源次〜ナイスアイデアや!」

「それじゃ、いくよ〜? ハイ、同期!!」

 写真に写るみんなは、今までで一番の最高の笑顔だった。

 暗くなる時間に合わせて、僕達は由香里ちゃんおすすめのホタルが見える場所に行った。

「うわ〜ゲンジがいっぱいや〜」

「源氏ボタルね……ゲンジだと僕がいっぱいいるみたいになっちゃうから」

「ここら辺は空襲の被害がなくて本当によかったです」

「だいぶ基地から離れとるからのう」

「俺はこんなに沢山のホタルを見たのは初めてだ……なかなかキレイなもんだな」

「ね〜すごいでしょ? 僕も去年、由香里さんと来た時に驚いて……絶対みんなと一緒に見たかったんだ」

「ほ〜去年は二人で見たとは、その頃から好きだったんやないか?」

「篠田さん達が来なかったから仕方なくです〜」 

「そんな〜」

「あれ? あのホタルだけ光るの早くないか?」

「へ〜珍しいな、同時に見られるなんて……あれは平家ボタルだよ。源氏ボタルは大きくゆっくりで、平家ボタルは小さな光が素早く光るんだ〜生息地が源氏は流れがある川で、平家は流れがない溜め池って鹿島で坂本くんに聞いたけど……ここでは同時に見られるんだね」

「そういえば僕も坂本くんから聞きました! ホタルが光るのは求愛の為なんだって……『俺はここにいるよ』って」

「じゃあ、あの一番よく光っているのが生まれ変わった坂本かもな」

「ほんまや……めっちゃピカピカしとる〜あいつ涼子さんがいるんやから、これ以上モテようとすんなっちゅうねん」

「僕、気付いたんですけど…………人っていなくなって見えなくなっても、ちゃんといるんですね……坂本くんが、みんなの心の中で笑ってます」

「そっか…………そうやな……坂本も空襲で死んだ家族も、心の中におるんかもな……」

「3月の大空襲も酷かったですよね……東京の方が真っ赤な空で、爆弾が落ちていくのが見えて…………東京にいる父が心配だったけど、何もできなくて悔しくて涙が出て……」

「こっちの方まで見えてたんか……」

「実は、僕の父は小説家で……爆風がすごくて土浦まで色々なものが飛んで来た時に、目の前に落ちてきたのが父さんの本で……」

「幸い父は無事だったけど、今度空襲があった時は……今度こそは、誰か一人でもいいから……助けたかったから……だからね? 後悔はないんですけど……」

 平井くんの目には薄っすら涙が浮かんでいた。

「僕も小説家になりたいと思って小説を書いてたから、こんな腕じゃもう二度と小説が書けないな〜って…………もっとも戦争中でそれどころじゃないし、これを機にきっぱり諦めます」

 由香里ちゃんが堪らず声を掛けようとした時、ヒロが言った。

「諦めるな!! まだ左手があるやないか! お前には立派な想像力がある! 他人の痛みを自分の事のように感じる力があり……死んでもうた奴もまるでそこにおるかのように見える力がある…………お前のおかげで久し振りに坂本に会えた気がしたわ…………お前にはお前にしか書けない物語がある! だから絶対、諦めんな!」

「…………分かったよ……ありがとう、篠田くん……君の事、最初は正直嫌いだったけど…………今では、大好きだ!」

「やっぱり篠田さんカッコいい……」

「由香里さん、そんな〜」

「冗談よ! 今度弱音吐いたらバッターだからね?」

「「「あちゃーありゃ痛いんだよな〜」」」

 僕達は、みんな揃って大笑いした。
 その翌日……百里原に戻ることにした僕とヒロと島田くんを、平井くん達は駅まで見送りに来てくれた。

「土浦に来てくれてありがとう! またみんなに会えて本当に嬉しかったよ!」

「僕も一緒にホタル見に行きたかった〜来年は一緒に行こうね?」

「和男が寝てたからでしょ! 皆さんお元気で……絶対また来てくださいね!」

「必ず皆さんで、また食堂に食べに来てくださいね! いつでも……待っているわ」

「ハイッ」

 電車が出発してからも、平井くんとトミさん達は、いつまでもいつまでも手を振ってくれていた。

 空襲の被害は各地に広がっていて、6月17日には鹿児島、6月18日には浜松、6月19日には福岡と静岡で大空襲があり、6月22日には広島・呉軍港空襲があった。

 6月23日には沖縄戦の司令官と長参謀長が自決して組織的戦闘は終結……
 6月29日には長崎・佐世保と岡山で空襲、7月1日は熊本大空襲と広島・呉市街空襲かあり……呉出身の者の話によると、炎と煙が迫る防空壕の中で誰かが『海行かば』を歌おうと声を掛け、皆で泣きながら歌ったそうだ。
 最初は小声だったけど、これがこの世の最後の歌だからと大合唱で……苦しい最期の時を励ましてくれたのも、また『歌』だった。

 沖縄戦もだが、7月に僕達の親族が住んでいる場所が空襲の被害に遭った。
 そして8月に原子力爆弾が落ち、日本が世界唯一の戦争被爆国になるなんて……6月の僕は夢にも思っていなかった。
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