夜空に咲く恋

第八話 君の横顔

 夏休みの期間、大手学習塾が開催する夏期講習に月水金の午後、颯太、蒼、玲奈の三人は参加している。夏期講習が始まって二週間……今日も颯太は席に着いてテキストを開く。

(最初の講習は英語か……)

 颯太はいつも通り、筆記用具を出して淡々と準備を整える。周囲ではぺちゃくちゃと喋る生徒もいれば、静かに着席している生徒も居る。控え目で実直な性格の颯太は後者の部類だ。

 夏期講習初日に強烈なインパクトで出会った蒼と玲奈であったが、その後は特に印象的な出来事は起きなかった。塾の夏期講習でただ近くに座るだけの関係で、講習の開始前に軽く挨拶をする事もあれば、挨拶を交わさない日もある。

 (蒼と玲奈が仲良く会話をしている中に特に割り込む必要はない。敢えて親しく話す必要もない。夏期講習に通う一か月間、近くに座るだけの関係だ)

……と考えるのが颯太である。

 一方、明るく活発な性格の蒼にとって颯太は普段は身近にいないタイプの存在だった。長身で美人、活発な性格でバスケ部……ともなると、蒼の周囲には自然とクラスの中心に位置する人物や学級委員、ノリの明るい生徒が揃う。

 そんな蒼にとって塾の夏期講習というイベントは、ただ学習をするだけの場所ではなく周囲の友人達と盛り上がる話題の一つであり、講義の内容や他校の生徒との出会い等も会話のネタになる。

……颯太と蒼は実に対照的な二人である。

 何事にも明るく楽しく向き合う蒼から見ると、特に誰かと会話をする事もなく真面目に学習に取り組む颯太の姿は印象的だった。

 和気あいあいと友人達と話す蒼の隣で静かに講習の開始を待つ颯太。頬杖を付き、テキストを眺めている颯太の横顔。少し垂れ下がった前髪越しに見える落ち着いた颯太の横顔。

 その雰囲気は普段蒼の周りにいる活発な友人達とは異なるものであり、蒼には大人びて感じられた。

……そして蒼は、次第に颯太の落ち着いた横顔に惹かれるようになっていった。

(M中学の坂本君……真面目な人だな。いつも真剣に勉強してるし、すごく落ち着いた雰囲気で……)

 一番窓際の席に座る蒼と、その隣に座る颯太。講習中、蒼の視線が講師の板書と自分のテキストを往復するたびにチラリと視界に入る颯太の落ち着いた横顔は、いつからかチラ見ではなく次第に蒼の目を奪うようになってゆく。

(ああ……これ、ダメだ。私、坂本君の事、気になってる……)

 これまで多数の男子から告白を受けた事がある蒼であったが、自ら異性を好きになる経験はなかった。塾の夏期講習、他校の男子、普段周りには居ない落ち着いた雰囲気の男子……と、いくつもの偶然が重なって生まれた……蒼の初恋だった。

 そんな蒼の変化を、すぐ後ろの席に座る親友の玲奈は見逃さない。ある日、夏期講習を終えて蒼と一緒に帰る玲奈は徐《おもむろ》に口火を切る。

「ところで蒼? 恋は順調?」
「ええっ!? れ、玲奈!? な、なっ……何を言ってるの!?」

 唐突に心の中心部を突かれて慌てふためく蒼に対し、玲奈は飄々と核心をついてゆく。

「何って、そんなの……後ろに座ってるんだから分かるわよ。R中学の坂本君。彼はあなたの目を奪う泥棒さんね」
「ちょ、ちょっと待って! 玲奈ってば!」

「だって蒼、坂本君の事ずっと見てるから」
「そ、そんな事はっ……ないと……思う……けど」

 蒼の顔が熱くなる。

「ふふっ。ほんとに分かりやすいんだから。蒼にとって坂本君は……さしずめ、横顔王子ってところかしら?」
「横顔王子……」

 玲奈の例えに蒼の表情が緩んでしまう……が、玲奈はそんな事はおかまいなしに現実的な話を続ける。

「でもどうするの? 塾の夏期講習は八月まで。蒼の初恋は期間限定の片思いで終わるのかしら?」
「だっ、だからちょっと待って! 玲奈!!」

「ええ。私が待つのは構わないけど、時間は待ってくれないわよ。お盆の期間は夏期講習ないから……坂本君と会えるのはあと十日もないわね」
「うーん、玲奈、残酷……」

「まぁ、想いを告げるも良し、このまま淡い思い出にするのも良し……どちらも良い結末だと私は思うわ」

「はぁ……ねえ、玲奈?」
「何?」

「ぶっちゃけ、私が坂本君に告白したらどうなると思う?」
「……正直に言っていい?」

……。

「……やだ」

 困った顔で少し沈黙した後、蒼から出た弱々しい声に玲奈は笑ってしまう。

「ふふっ」
「もうっ、笑わないでよ……私だって分かってるよ」

「でしょうね、私も同じ意見だわ」
「玲奈……やっぱり残酷」

 颯太は学習塾の夏期講習へ真面目に勉強をする為に来ているだけで、他校の女子生徒に全く興味など持っていない。蒼が颯太に想いを告げたところで予想される結果は明らかだ。

「でも、蒼はこういう時に無責任な嘘を言ってほしくはないでしょ?」
「うん。ちゃんと本音で言ってくれる方が嬉しい」

「ええ、私も蒼がそう言うって分かってるから……ちゃんと本音で言うのよ」

「玲奈……ありがと」

「当たり前じゃない。何年あなたの親友やってると思ってるのよ」
「……」

……再び少しの沈黙。

「もう、仕方ないわね。コンビニでガリガリ君奢ってあげるわ。そう言えば最近、新しくコーンポタージュ味っていうのが出たらしいわよ」
「ええっ!? ガリガリ君にコーンポタージュ味!?」

「そうなの。お祖母ちゃんから聞いたわ。私もちょっと興味あるから」
「私も! それは是非食べてみないと!」

「ふふっ。少しは元気になってくれた?」
「うん、ちょっとだけだけどね。ありがとう、玲奈!」
「どういたしまして。でも……」
「でも?」

「ガリガリ君のコーンポタージュ味……察するに、しょっぱい味がすると思うけど。今の蒼にその味でも良いかしら?」

……。

……またも沈黙。

「玲奈……やっぱ残酷」

「ふふ、良いのよ。モヤモヤしてはっきりしないよりは……ちゃんと失恋って事で区切りなさい」

「ああっ! 言った! 今まで言わなかったのに! 『失恋』ってはっきり言っちゃった!!」

 蒼にいつもの大きな声が戻った所で玲奈は笑みを見せると、小走りで蒼の前を行く。

「蒼、早くコンビニに行くわよ」
「あっ、玲奈、待ってー」

 中学三年生の夏、他校の生徒が集まる塾の夏期講習という特別な場所で……蒼は颯太に心惹かれるも、その初恋は想いを伝える事なく失恋という形で幕を下ろした。

 蒼にとって颯太の存在は中学時代の淡い思い出として心に残って終わるはずだった。それが、高校に入学して数日が経ったある日、あの時別れたはずの「横顔王子」に再会した。

……坂本颯太。

 予想していなかった「横顔王子」と突然の再会、諦めたはずの初恋……蒼は抑えきれない様々な感情に飲み込まれて我を失ってしまい、再会した颯太の前で「王子!」「バカ―!」と叫ぶ珍事を引き起こしてしまったのである。
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