夜空に咲く恋

第九話 地獄の仏様

 蒼は嬉しさと恥ずかしさのあまり、颯太の前から一目散に走って逃げた。颯太に対して「王子!?」「バカーッ!」と叫んだ直後の行動である。

(颯太君だ! 坂本颯太君!! あの時……塾で一緒だった坂本颯太君!! 私と同じ高校だったんだ!?)

……はあっ、はあっ。

 蒼は数分間、全力で走り続けた。高校の近くにあるコンビニまで走った所で立ち止まり、両手を膝について呼吸を整える。

(ああっ……! こんな……こんな事って! こんな偶然って……あってもいいの!? あの時……諦めた私の初恋!! 坂本颯太君!!)

 蒼が立ち止まって歓喜の妄想を膨らませていると、後方から蒼を呼ぶ声が聞こえてきた。蒼の後を追いかけてきた玲奈だ。

「蒼―! ちょっと待ちなさいー!」
「あっ、玲奈!?」

 全力で走り逃げた蒼を追いかけた玲奈も全力疾走を余儀なくされた為、その息は切れている。

「はぁ、はぁ……全く、蒼は身体大きいのに……足は無駄に速いわよね」
「玲奈? 追いかけてきたの? どうして!?」

「『どうして?』……じゃないわよ。さっきの一部始終、全部見てたんだから」

(えっ!?)

 蒼の表情は一瞬固まったが、その膠着《こうちゃく》はすぐに解かれて歓喜の声を上げながら両手で玲奈の肩を激しく揺らす。

「玲奈も見てたのっ!? 朱美ちゃんと一緒に居たの! ……坂本君だよ! 坂本颯太君!! 去年の塾で一緒だった……あのっ!」

「ええ、知ってるわよ。『全部見てた』って言ったでしょ?」
「玲奈!? 私、どうしよう!? これってどうしたら良いのかなぁ!? 私、私っ……」

 歓喜のあまり声を詰まらせる蒼とは対照的に、玲奈の態度は冷静だ。玲奈は蒼を諭す様に、蒼の肩に手を乗せて言う。

「蒼、まずは落ち着きなさい。ほら深呼吸でもして」
「……そ、そうだよね。ごめん、私、興奮しちゃって」

フゥーッ……。

 蒼の息が少しずつ落ち着いてゆくのを確認すると、玲奈は冷静に的確な言葉を並べてゆく。

「蒼、少しは落ち着いた?」
「うん、ありがと、玲奈」

「ならよかったわ。じゃあ、まず現実をちゃんと見るわよ。今さっき、とっても重要な事が起きたのだから。蒼? 現実から目を背けずに……順番にちゃんと思い出しなさい」

(……? 現実? 順番に、ちゃんと思い出す?)

 興奮から覚めた蒼は、玲奈の言葉をきっかけに現実を振り返る。

「えっと、私……」
「そうよ蒼、思い出して」

 先ほど起きた現実の場景が蒼の頭の中で再生されてゆく。

「ああっ!!」
「何か思い出した?」

 颯太に再会した事が何よりも衝撃的であった為、まずは聞き流してしまっていた朱美の言葉を思い出す。

「朱美ちゃん! 坂本君の事を『これ、私の幼馴染』って!!」
「そうよ。あの状況でよく覚えていたわね。そこには私も驚いたわ」

(朱美ちゃん! ……坂本君と幼馴染!? えっと……私と朱美ちゃんはクラスメイトで、部活も同じで友達で……坂本君はその朱美ちゃんの幼馴染!?)

「あっ、ああっ……神様! ありがとーっ! 玲奈、ありがとーっ!!」

 蒼が叫びながら玲奈に抱き着く。

「良かったわね蒼」
「玲奈、私、私っ! こんな偶然あって良いのかなぁ!? 嬉しすぎだよ! もう天国にいる気分だよ!」

「ふふっ、おめでとう、蒼。天国へようこそ」
「うん! うん! ありがとう玲奈!」

 玲奈は暫くの間、抱き着く蒼を静かに受け止める。

「……」

 しかし蒼は、喜びのあまり最高のテンションになる自分とは逆に、目の前で冷静な冷めた態度をとる玲奈を見て違和感を覚え始める……。

「あれ? 玲奈? どうかしたの?」
「ねえ蒼? 私、言ったわよね……? 『現実から目を背けずに、順番にちゃんと思い出しなさい』って」

「うん、言った……」

 玲奈の冷静な言葉に、蒼は再び先ほど起きた現実を順番に回想する。朱美が颯太を紹介しようとした直後に起きた残酷な現実を……。

「あっ……」
「思い出したかしら? 蒼?」

 蒼は初恋の相手である颯太と突然再会できた事に驚きと興奮で我を忘れ、あろうことか颯太に向かって「王子!?」「バカーッ!!」と意味不明な狂言を続けざまに叫んでその場から全速力で走り去ってきたのである。

……人生最悪の大失態だ。その現実が蒼の頭の中に蘇る。

……ビュゥーーーッ! ピキーーーンッ!

 蒼の心と身体に北極の風が吹く。蒼は全身が凍り付いた様に白く固まって動かなくなった。

「……蒼? 大丈夫?」

 玲奈が蒼の身体を人差し指でツンツンと突く。

「……」

……返事はない。

「蒼―。今は4月だよー。春だよー。冬眠から目覚めてー」

 玲奈が蒼の背中を優しくさする。

「あっ……あっ……私っ、私……」
「蒼、思い出した? げ・ん・じ・つ」

 玲奈が凍り付いた蒼の顔を覗き込む。

「……」
「蒼? 大丈夫?」

「……大丈夫じゃ……ない。ごめん、玲奈……私、転校する。今までありがとう。短い高校生活だったけど一緒に過ごせて楽しかったよ……元気でね。さようなら」

「蒼、バカな事を言わないで。私達、入学してまだ一週間よ」

 蒼は徐々に自分が犯してしまった失態の大きさに気付き始めると、今度は悲痛な叫び声を上げながら両手で激しく玲奈の肩を揺らした。

「どどどっ、どうしよー!? 私っ!! あああっ、もう! バカーッ! 私のバカバカーッ! 神様のバカーッ!!」

「ちょっと蒼? 自分の失態を神様のせいにしたらバチが当たるわよ」

「ええっ!? でも! だって、だってーっ!! こんなの酷いよ! 最悪だよっ! もう私! 地獄に居る気分だよーっ!!」

 取り乱す蒼に、玲奈は冷静に返す。

「ふふっ。あっという間に天国から地獄に落ちたわね。今日の蒼は忙しいわね」

「もうっ、玲奈ったら! からかわないでよ! 分かってるよ! こうなったのは全部私のせい! 自分で蒔いた種なんだから!」

「まあ確かにそうなんだけど……でも、放っておける状況じゃないわね」

「どうしよう玲奈!? このままじゃ私っ、坂本君にどんな風に思われるか分からないよっ!? 再会の第一印象が最悪だよ!!」

「そうね。でも安心して。私、この状況を打開する良い案を思いついたから」

「えっ? 玲奈、本当っ!?」
「ちょっと荒療治かもしれないけど……それでも良いかしら?」

「うんうん! 何でも良いよ! 地獄に堕ちた私を……たっ、助けてください! 神様仏様! 玲奈様!」

「今度は仏様が登場したわね。まあ、地獄に現れる仏様っていうのも悪くないけど」

 取り乱しながら涙目ですがる蒼に、玲奈は冷静に言葉で遊ぶ様に答える。

「もう! そんな上手な返しはいいから! ……でも玲奈、どうするの?」

「こういうのは時間が経つほど気まずくなるから……こうするのよ」

(……ええっ!?)

 玲奈はそう言いながら、涙目ですがる蒼の目の前で驚きの行動に出た。
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