夜空に咲く恋

第二十四話 岡崎美術博物館

 東岡崎駅からバスに揺られて二十五分。颯太、朱美、蒼の三人は岡崎美術博物館に到着した。

「岡崎美術博物館に来るのなんて久しぶり。改めて見ると気持ちのいい所だねー」

「うん、芝生広場に池、奇麗な建物ってプチ旅行に来たみたい」
「ここは本当に気持ち良いよな。早速中に入ろう」

 建屋の入り口に入ると、光が入る高さ十メートル程の開放的なアトリウムが出迎えてくれる。地上部分の入り口から美しい景観の階段を下り、美術館の受付を済ませて展示室へ入場する。

 この日開催されていた展示内容は十九世紀末から二十世紀半ばにかけて活躍した西洋作家の作品展だ。ルノワール、シャガール、ピカソを始め、美術の教科書で見た事もある作家の作品が並び、美術に詳しくない朱美や蒼にも興味が沸く展示である。

「あっ、ルノワール知ってる! こっちのシャガールも教科書で見た事あるよ」
「うん、蒼ちゃん。ちゃんとした絵画ってこうしてよく見てみると、何だか心に響くものも感じるね」

「そうだね、朱美ちゃん。私達、芸術を愛するレディになってるかも」
「あはは。私達、大人の階段上ってるねー!」

 やや大きめの声で談笑する朱美と蒼を係員が睨みつける。館内では静かにして下さい! と係員が目で訴えかけている事に気付くと、朱美と蒼は気まずい苦笑いで反省し、係員から目を逸らして颯太の方に視線を送る。

「ところで坂本君?」
「……」

 颯太は真剣な眼差しで絵画に見入っている。その真剣な眼差しの横顔は蒼にとっては予想外のご褒美だ。

(ああっ、颯太君の真剣な横顔! 良いなぁ! もうっ、ずっと見ていたい!)

 そして、高揚した嬉しそうな表情で颯太の横顔に見入る蒼……を朱美が隣で見る。

(蒼ちゃん、こんな顔も本当に可愛いなぁ。美術館にいる可愛い服の恋する蒼ちゃん……やっぱり良いなぁ)

 絵画に真剣な眼差しを送る颯太、その颯太に真剣な眼差しを送る蒼、その蒼に真剣な眼差しを送る朱美……奇妙な横並びが展示室内を進んでゆく。美術展示室の雰囲気に適合しない奇妙な三人組である。

 観覧を続ける途中、朱美にそそのかされた蒼は颯太の横顔をこっそり携帯で撮影しようとしたが、係員に『館内は撮影禁止です!』と制止され二人で謝る場面もあった。

 それから一時間が過ぎ、三人は展示を観終えて昼食をとる。前日の約束通り、敷地内で池の前にある階段に座る。朱美は座る位置に気を遣い、颯太、蒼、朱美の順で座った。

(私が真ん中だと颯太と沢山喋っちゃいそうだから……きっと蒼ちゃんが真ん中に座るのが良いよね)

 朱美は座りながら蒼がバッグから取り出す弁当箱に興味を示す。

「わぁ、蒼ちゃんはお手製のサンドイッチなんだね?」

「うん、パパッと作ってきたよ。卵サンド、ハムとチーズときゅうり、チキンとレタスのサンドイッチだよ」

「可愛く作れて凄いねー。流石蒼ちゃん! 女子力高っ!」

「そんな事無いよー。ゆで卵作って、あとは全部切って挟むだけだもん。朱美ちゃんのお昼は何?」

 朱美が質問に答える前に、颯太のバッグから出てきたパンが蒼の前を横切る。今朝集合する前に颯太と一緒に地元のパン屋で買ってきたものだ。

「ほい、朱美、昼ご飯。胡桃ラムレーズン、抹茶と大納言ベーグル……とチーズカンパーニュだったよな?」

「うん、ありがとう、颯太」

「朱美ちゃんはパン屋さんのパンなんだねっ。どれも美味しそう! 坂本君は?」

「俺もパンだよ。朱美と一緒に買ってきたんだ。俺はカレーパン、桜あんぱん、なると金時」

「わぁ、そっちも美味しそうだね!」

「家の近所にあるパン屋さんで、俺と朱美が産まれた時くらいに開店した店らしいんだ。ウチは昼に困った時によく買ってるよ」

「近所に便利で美味しいパン屋さんがあるのは良いね」

 蒼が颯太の方を向いて話していると、朱美はさも当たり前……という様な手つきで颯太から受け取ったパンを半分に割り始めた。颯太もまた朱美に同調するように自分のパンを割り始める。

「えっ? 朱美ちゃん? 坂本君?」

 自然な様子でパンを半分に割る二人に疑問を感じる蒼が質問をしようとするが、その答えは次の二人の行動で判明する。

「はい、颯太。胡桃ラムレーズン、ベーグル、チーズカンパ」

「サンキュ、朱美。ほい、カレーパン、なると金時、桜あんぱん」

 朱美と颯太は買ってきたパンをそれぞれシェアし合う。少量で沢山の味を楽しめるのはシェアできる相手が居る者の特権だ。

「颯太、私の桜あんぱん、桜が乗ってないよ。そっちの桜が乗ってる方を頂戴」
「これは俺の桜あんぱんだぞ。桜が乗ってる方は俺が食べる」

「ええー? いいじゃん、そっち頂戴よ」
「ダメだって。大体、桜が乗ってなかったら只のあんぱんになっちゃうだろ?」

「颯太のケチ。私が甘じょっぱい味好きなの知ってるでしょ?」
「なっ、そういう言われ方をされると……仕方ないな、ほら交換」

「えへへ、やった! 颯太、優しいー!」
「ケチの直後に優しいって何だよ」

 朱美と颯太のシェア作業は普段の冗談と共に終了したが、蒼は目の前を何度も通り過ぎた魅力的なパンのラインナップに堪らず声を上げる。

「ちょっと二人とも! そんなに美味しそうなものを何度も私の前で往復させないでよ! 私も食べたいーーっ!!」

 突然上がる蒼の声に朱美と颯太は驚く。

「えっ?」
「あっ、ごめん蒼ちゃん。私達、いつもの癖でつい……」

 産まれた頃から幼馴染の朱美と颯太。何か食べたいものがあれば二人で分け合ってきたし、欲しいものがあれば貸し借りをしてきた。ずっと続いてきたその習慣は二人にとって当たり前の事であり、蒼の前でも当然の様に行われた。

「私のサンドイッチあげるから、何か交換してー!」
「ごめんね、三浦さん……どれが良い?」

 颯太の手元にある六種類の総菜パンと菓子パン達。どれも美味しそうで蒼は目移りする。

「えっと……抹茶と大納言のベーグル、あと、なると金時! 貰っても良い?」

「いいよ、はいどうぞ三浦さん」
「ありがとう、坂本君。じゃあ私の方から好きなの2個取って」

(あっ……)

 自然な流れで生まれた状況だが、ここで蒼は自分にとって大事件が起きようとしている事に気付く。

「じゃぁ、卵とハムチーズきゅうり、貰うね」
「あっ、う、うん……はい、どうぞ」

 颯太は蒼から受け取った卵サンドを口に運ぶ。

「うん、美味し。あ、これマスタードも入ってる? 刺激があると味が引き締まって美味しくなるね。流石三浦さん、上手に作るねー」

 颯太が蒼に笑顔を向ける。

……ドクッ、ドクッ。

(坂本君……私が作ったサンドイッチ食べてる……)

 蒼の心拍数が上がる。続いて颯太はハムチーズきゅうりのサンドイッチを食べる。

「うん、こっちも普通に美味しい。ってこれは当たり前か。全部そのままの味だもんね」

「あ、うん……切って挟んだだけだから……」

……ドクッ、ドクッ。

(ああっ! こ、こんなサプライズが起きるなんて!!)

 蒼の声が小さくなっている……と言う事は蒼が緊張でドキドキしている証拠だ。朱美は蒼の変化に気付く。そして考える。

(蒼ちゃん緊張してる? ……そっか。好きな男の子に手作りのサンドイッチ食べて貰えたんだもんね。とりあえず颯太の気を引いて、蒼ちゃんが落ち着く為の時間を作ってあげないとっ!)

 今、颯太に蒼の顔を見られてはまずい。朱美は颯太の注意を自分に引かせる為、わざと強めの口調で言う。

「ちょっと颯太! 女の子が手作りのサンドイッチをあげたんだから、もっと褒めても良いんじゃないの? 『普通に美味しい』って何よ?」

「いや、だって……本当にハムとチーズときゅうりの味だけだし」

「でもさ、もうちょっと他に言葉はないわけ?」

「どうしたんだよ朱美? でも例えばだぞ? もし俺がここで『おおっ! こんなに美味しいハムチーズきゅうりのサンドイッチ食べた事ないっ!! 三浦さん料理の天才!!』とか言っても逆に嘘に聞こえるだろ?」

「そ、それはまぁ、そうなんだけどさ……」

 蒼は、この朱美と颯太の短いやり取りの間に高まる胸の鼓動を抑え、平常心に返る事が出来た。

(朱美ちゃん! 私がドキドキしてる事を坂本君が気付かない様に時間稼ぎをしてくれてありがとう!)

……の意を込めて、蒼は朱美の腰を軽くさすり、朱美も蒼の手を握って返事を返す。勿論、この動作は颯太からは見えていない。

「朱美ちゃん、ここは坂本君の言う通りだよ。気を遣ってくれてありがとね」
「う、うん、蒼ちゃんがそう言うならまあ良っか」

「三浦さんは本当に優しいよね。ありがとう。朱美はもうちょっと、三浦さんの優しさと上品さを学べよな」
「なによそれっ」

 一連の会話が終わる。この会話の間、意思疎通のみで密かに行われていた朱美と蒼の連係プレーに、蒼と朱美は言葉を使わず手を握って互いを讃え合う。だが颯太はそれを知る由もない。穏やかな春の屋外、静かな池のほとりで食べるランチは、朱美と蒼の心を和ませ満足させるひと時となった。
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