夜空に咲く恋
第一話~第十話

第一話 入学

 春の温かい陽光が差し込む部屋で、朱美は白いブラウスに紺色のブレザーの袖を通した。今日から通う私立岡崎中央商業高校の制服だ。全身が映る鏡で前髪をさっと整え、自分の新しい制服姿を嬉しそうに確認する。

「制服よしっと。今日から私も高校生!」

――村上朱美(あけみ)――
 十五歳、高校一年生。明るく活発な性格で運動好き。中学ではバスケ部に在籍していて、高校でもバスケを続ける予定。英語と数学が苦手。家の向かいに住む坂本《さかもと》颯太《そうた》と幼馴染。

「朱美―! 準備できたー?」
「はーい、お母さーん!」

 階段を降り、リビングで待つ両親に初々しい制服姿を披露する。

「朱美、よく似合ってるわ」
「朱美―! そっか……今日から高校生か。父さんは、父さんはっ……ああっ!」

「ちょっとあなた、まだ家よ? 今からそんな調子で入学式はどうするのよ?」

――村上裕子(ゆうこ)――
 朱美の母。薬局でパートをしている。明るく優しい性格。夜は夫の晩酌に付き合う……という名目で、家事を終えた後にゆったりとした時間を過ごす事を一日の楽しみにしている。夫が言うくだらない冗談にツッコミを入れてくれる。

――村上大輔(だいすけ)――
 朱美の父。製造業で働いている。毎日の晩酌を楽しみにする明朗で外交的な性格の父親。義理人情に厚く涙もろい。くだらない冗談をよく言う。

「そうだよ、お父さん。両親揃って入学式に参加っていうだけでもちょっと恥ずかしいのに……式の途中で大声出して号泣とかやめてよ?」

「いや、だって、だって……でも、そうだな。涙と一緒に目を落とさない様に気をつける」

「ぶっ! ちょっとあなた! それ、もはやホラーだから! 事件だから! 大切な娘の入学式をホラーの事件現場にしないでっ!」

 父のくだらない冗談に母がすかさずツッコミを入れる。村上家では日常の光景だ。

「はいはい……我が家の父と母は今日も仲良しだね。じゃ、行ってきます」

 高校入学の初日、少しだけ緊張していた朱美であったが、いつもと変わらぬ家庭の光景に安堵を覚え軽い足取りで家を出る。

「朱美、いってらっしゃい。また後でね」
「ああ、気をつけてな、朱美。うぅっ」

 時刻は七時三十分。外に出ると、向かいの家の玄関先から聞き慣れた声が朱美の耳に入った。

「朱美、おはよ。時間通りだな」
「朱美ちゃん、おはよう。高校でも颯太とよろしくね」

「朱美ちゃん、ブレザーの制服可愛いーっ! 凄く似合ってるよ! 良いなぁー」

――坂本颯太(そうた)――
 十五歳、高校一年生。生真面目で照れ屋な性格。写真や美術が好き。運動は苦手。朱美の幼馴染で生まれた時から朱美と家族ぐるみの付き合いをしてきた。花火を見る事が大好きで毎年夏に行われる地元の花火大会を楽しみにしている。

――坂本美穂(みほ)――
 颯太の母。穏やかでおっとりとした性格。税理士として働く夫の補助事務員として働いている。

――坂本莉子(りこ)――
 颯太の妹。中学三年生で活発な明るい性格。ソフトボール部に在籍している。一歳上の朱美を姉の様に慕っている。

 朱美の家の向かいに住む坂本家。約束の時間に合わせて、颯太、颯太の母、妹の莉子が玄関先で待っていた。坂本家は父が税理士で個人経営の会計事務所を運営している。自宅は住居兼事務所だ。

「颯太、莉子ちゃん、おはよー。おばさんもおはようございます!」

 新しい制服を身にまとった朱美の姿に莉子が興味津々で吸い寄せられ、そのまま両手で抱きしめる様にしがみつく。

「朱美ちゃん、可愛いーっ。良いなぁ、ブレザー! 私達の中学はセーラー服だもんね、ブレザーの制服って憧れちゃう! 電車通学も羨ましいー!」
「えへへ。ありがとね、朱美ちゃん」

 朱美は、屈託のない笑顔で褒めてくれる莉子の頭を撫でながら笑顔を返す。

「んじゃ、行ってきます」
「ええ、颯太。気を付けて行ってらっしゃい」

 中学の頃は学ランの制服を着ていた颯太だが、今日から通う私立岡崎中央商業高校は男女共にブレザーの制服だ。先月までとは違って少し大人びて見える颯太の姿に、朱美の心拍数は僅かに上がる。

(そっか、颯太もブレザーなんだ……)

「よし、じゃ行くか、朱美」

 少し戸惑っていた朱美に、いつも通りのテンションでぶっきらぼうに声をかけて颯太が歩き始めようとする……が、莉子の声が颯太の歩みを制止した。

「ちょっとお兄ちゃん!」
「うん? 莉子、どうした?」

「『どうした?』……じゃないよ! 朱美ちゃん初めてのブレザー姿だよ!? 女子高生の初制服姿だよ!? 『可愛いね』とか、『似合ってるよ』とか無いわけ!? 思ってる事はちゃんと口に出して伝えてあげなよ!」

「ああ……」
「いや、『ああ……』じゃなくて!」

 颯太のブレザー姿に一瞬目を奪われた朱美だったが、いつも通り妹の押しが強い兄妹のやりとりに、ハッとして平静を取り戻す。

「ふふっ。莉子ちゃん、ありがとね。颯太はそういうの、全然だから。女心なんて全く分からないもんねー。良いよ、良いよ。期待なんてしてないない」

「ええっ? 朱美ちゃん、それで良いのー? ……まぁ、お兄ちゃんは昔からそーなんだけどさ」

ジーッ……。

 揃って冷ややかな目線を送ってくる幼馴染と妹の姿に、やれやれ……という表情で颯太が答える。

「こらこら、なんで朝からこうなるんだよ。いいから早く行くぞ。電車の時間に遅れるだろ」

「あっ、颯太、ちょっと待って。じゃ、おばさん、莉子ちゃん、行ってきます!」

「うん、行ってらっしゃい、朱美ちゃん」

 朱美と莉子の冷ややかな目線とやり取りに答える事なく歩き始めた颯太だったが、最初の交差点を曲がり母と妹の姿が見えなくった事を確認した後で、少しどもりながら小さな声を出した。

「朱美、あのさ……」
「うん? 颯太、何?」

「さっき、莉子が言ってた事。朱美の制服姿……可愛いとか、似合ってるとか……」
「えっ?」

 朱美は颯太の口から出た予想外のフレーズに動揺を隠せないが、そんな朱美の様子を気にする事なく颯太は小さな声で続ける。

「別に俺……『思ってない』なんて言ってないからな」

(……えっ!? 今、何て!?)

……。

 二人の間に沈黙が流れる。驚きと同時に朱美の胸がじんわりと熱くなる。頬の温度が上昇していく感覚が自分で分かる。しかし、朱美は自分の感情の高まりを隠すかの様に大きな声を上げて笑い始めた。

「ぶっ! あははっ」
「なっ、何で笑うんだよ!?」

「何よそれっ!? あははっ、可笑しいー! もうっ、入学式の朝から笑わせないでよっ!」

……ドンッ!

「痛って!」

 朱美は手に持った鞄で颯太の背中をはたくと、少し走ってから颯太の方を振り返る。

「ばーか。何似合わない事を言ってるの!? 早く行かないと、電車に遅れるよ!」
「あっ、ちょっと待てっ!」

 颯太の少し前を走る朱美の顔に明るい笑顔が咲く。しかし、その笑顔は颯太からは見えない。朱美は足を止める事なく、颯太に笑顔を隠しながら心の中で呟いた。

(颯太、ありがとっ。颯太のブレザー姿だって、ちょっとカッコイイよ。でも……私は言ってあげないけどねっ)

 穏やかな春陽が降りそそぐ住宅街を嬉しそうに走る朱美と照れくさそうに追う颯太。幼馴染として育ってきた二人は今日から高校生だ。
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