夜空に咲く恋

第二十九話 颯太の球技大会

 球技大会が始まった。颯太が参加するサッカーの試合は二年生チームとの対戦だ。運動が苦手な颯太は予備要員として後半のみの出場でポジションは左サイドバック。近くに来たボールをとにかく大きく蹴り返してクリアーする事が役割だ。

 ドリブルやパスの技術を求められないこのポジションは、球技大会や体育の授業で運動が苦手な者がよく割り当てられる場所である。また、朱美、蒼、玲奈は自分達のクラスは試合が行われない時間だった為、颯太の試合を応援しに来ていた。

「坂本君―! 行ったよー! クリアーしてーっ!」
「はいーっ!」

……ドーンっ!

 相手が大きなパスをしてしまい、颯太は目の前に転がってきたボールを中盤へ思いっきり蹴り飛ばして一生懸命に与えられた役割をこなす。不慣れでも必死にボールに向かう颯太の姿に蒼は興奮しながら応援をする。

「坂本君! またクリアーした! 運動苦手とか言ってたけど、ちゃんとできてるじゃん!! 坂本君、ナイスーっ!」

「うーん、蒼ちゃん? 今の所、颯太の活躍はまぐれだと思うよ。見てて。その内、大きく空振りして転んじゃうから」

「ふっ。それはそれで見物ね。一生懸命頑張る坂本君も、空振りで転倒する坂本君もどっちも見たいわ」

と言いながら玲奈は携帯を構えている。

(あはは……玲奈ちゃん、思いっきり颯太が転ぶ所狙ってる)

 この学校では、通常の授業日であれば授業中の時間帯は携帯電源を切る事が生徒達に義務付けられている。しかし、球技大会の様なイベントでは自由に携帯を扱う事ができる。高校生活の大切な思い出をそれぞれに残してほしい……という教員側のはからいだ。

 朱美達が見守る中、また颯太の所へボールが飛んできた。今度は先程の転がってくるボールとは違い、大きく弾んでやってくるボールだ。

(よし、今回もボールをよく見て、タイミングを合わせて……)

 颯太が右足を大きく振りかぶってボールを蹴り返そうとする。しかし、サッカーの経験がない颯太にとって、大きく弾んでくるボールが着地する位置を見定めて駆け寄り、その着地に合わせて正確なタイミングで蹴り返すは難しい。颯太は見事な空振りをしてしまい転倒する。

「うわっ!!」

……ザザッー! ……トンッ、トンッ。

 颯太の横をボールが弾んで通過してゆく。

「行けーっ! チャンスーっ!!」
「坂本君! 大丈夫!? ていうか、すぐゴール前に戻って!! 俺、フォローするから!」
「う、うんっ! ごめんっ!!」

 ボールに追いついた相手チームのフォワードと、颯太のフォローに入ったクラスメイトのディフェンダーが攻防を始める。颯太は一旦ゴール近くに戻り守備要員に回る。

「ご、ごめん!」
「いいよ坂本君! あれは仕方ないから! 今はボールとゴールの間に居るように意識して守って! 相手をフリーにしない感じで!」
「分かったよ!」

 颯太がゴール付近に戻り、自チームのキーパーからアドバイスを受けて守備を固めようとした時だった。相手チームのフォワードが自チームのディフェンダーを交わして猛スピードのドリブルでゴールに近づいてくる。

(……き、来たっ!?)

「いけっ!」

……ドーンッ!!

 相手チームのフォワードは颯太が近づく前に全力でシュートを放った。颯太は自分のミスから失点してしまう事態だけは避けるべく、身体を張って必死にシュートをブロックする。

……バーンッ!!

「ぶわっ!!」

 強烈なシュートが颯太の顔面を直撃した。顔面ブロックをする事になった颯太は尻餅をついて倒れてしまう。

……トンッ、トンッ、トンッ。

 颯太の顔に弾かれたボールはゴールラインを割り、相手チームのコーナーキックとなった。倒れた颯太にクラスメイトが駆け寄って声をかける。

「坂本君、今のブロック凄かったね! でも痛くない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。ボールは?」

「相手のコーナーキックになったよ。って、坂本君!? 鼻血出てる!」
「えっ?」

 颯太は手で鼻の辺りを拭うと指先が赤く染まった。また、掌には軽い擦り傷もある。倒れた時に負傷してしまった様だ。

「審判―! すみません、一人交代しまーす!」
「誰か―っ! 救急箱借りてきてー!」

……ピピーッ!

 颯太の交代要員をコート内に入れて試合は続行する。颯太はコートの外へ移動し、座って上を向いて治療を待つ。すると暫くして、クラスで保健係を担当する二人の女子が大会本部テントから借りてきた救急箱と一緒にやってきた。柔道部員の押江陽子(おさえようこ)と化学部員の薬丸(やくまる)香帆(かほ)だ。まずは押江が颯太に声を掛ける。

「坂本、あんた気合入ってんね! ナイスな顔面ブロックだったよ」
「押江さん、ありがとう」

「手の擦り傷から消毒するよ。坂本? 鼻血は後で処理するから適当に抑えときなさい。じゃ、まずは手をこっちに出して」
「うん……って、えっ? ええっ!?」

 柔道部の押江は颯太の左手首を両手で握り、その腕を自分の左脇に挟んで肘関節から抑えて颯太の腕を固定する。柔道の腕ひしぎ脇固めという関節技である。

 ただ、傍から見たその様子はケガの治療をしていると言うよりも、まるで警察官が犯人を取り押さえているかの様に見えてしまう……。

「坂本? 今、薬丸が消毒するから動かないでね」

「ちょ、ちょっと押江さん!? 動かないでって言うか動けないからっ! 手の傷より今抑えられてる方が痛いんだけどっ!」

「つべこべ言わない! 男でしょ? 気合よ気合!」

(って、ええっ!? 話が通じない!? つか、抵抗しようにも腕が全く動かない!? ヤバッ! 柔道部女子ヤバッ!!)

 柔道の経験者が完全に抑え込みを決めると、抑えられた側は身体を全く動かせなくなる。抵抗できない颯太は恐怖に怯えるが、その横では化学部員の薬丸が消毒液のオキシドールが入った瓶の蓋を開け、光悦の表情でその香りを嗅いでいた。

「はーっ、良い香り。私、この香り嗅ぐとゾクゾクしちゃう。坂本君? オキシドールかけるわよ。少し痛いかも知れないけど我慢してね」

(……えっ!?)

 薬丸の口から出た言葉に颯太はすぐさま否定を入れる。

「ちょっと待って薬丸さん! 傷口に直接オキシドールなんてかけたらめっちゃ染みるよ! オキシドールって脱脂綿とかに湿らせて優しくポンポンするものでしょ!?」

「あらそう? でも大丈夫よ」
「いや、大丈夫じゃないから! めっちゃ染みて痛いから!」

「そうかしら? ……ところで坂本君、オキシドールの成分って知ってる?」
「え? いや、知らないけど……」

「濃度約三パーセントの過酸化水素水よ」
「へえ、そうなんだ」

「だから大丈夫よ」
「うん、ごめん! 『だから大丈夫よ』になる意味が分からないから! めっちゃ染みて痛いの知ってるから!!」

ツーッ……。

 薬丸は颯太の否定を無視してオキシドールが入った瓶を傾け、器用に少量のオキシドールを颯太の傷口に直接かけた。

「うわあっ! 痛ってー!!」

(本当にかけたっ!? 瓶から直接で少量かけられるのは薬品の扱いに慣れていて流石だけど! でもヤバッ! 化学部女子ヤバッ!!)

 薬丸は仕上げの絆創膏を颯太の手に貼る。

「じゃ次は鼻の方ね。ティッシュ詰めるから、押江さん、坂本君を押さえて貰える?」
「はいさ!」

 押江は颯太の後ろに回り、顔を上向きにした状態で固定させる。柔道の技ではないが、効果的に抑えられた颯太は上半身が全く動かなくなる。

「ちょっと薬丸さん!? 丸めたティッシュ入れるだけなら俺動かないから! 押さえて貰う必要ないから!」

「あ、それもそうか。でも坂本君? 折角だから鼻にもオキシドール注いであげようか? 消毒したら早く止血するかもしれないし」

「ダメです! ティッシュだけでいいです!!」

「そう? でも私……興味沸いてきちゃった。人の鼻にオキシドールを注いだらどうなるのか? ……やっぱり今から試しても良い?」

「薬丸さん! その興味俺に向けないで! ていうか、それを俺で試さないで! ティッシュだけでお願いします!!」

「そう、残念ね。新しい発見があるかと思ったのに……」

(やっぱり化学部女子ヤバッ!!)

 丸められたティッシュを鼻に入れられ、颯太の治療は終わった。颯太が治療を受ける一連の様子をサッカーコートの反対側から見ていた朱美達は、状況の詳細は分からずに話をしていた。

「坂本君、クラスの皆と仲良いんだね。係の子が直ぐに救急箱持って来てくれたよ」

「うん、でも何だか颯太のヤツ……足をジタバタして暴れてなかった?」

「確かにその様にも見えたわね。何か問題でもあったのかしら?」

 この時起きていた恐怖体験を颯太本人から聞くまで、三人の疑問は残る事になった……。

 一方、試合の方は颯太がコートから抜けた後、相手コーナーキックから失点してしまい、一年F組は一対二で負けてしまった。颯太は自分なりに精一杯チームに貢献するも、ボールを顔面で受けて痛い思いをして、その後また違う意味で痛い思いをして……颯太の球技大会は終わる事になった。
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