夜空に咲く恋

第三十五話 心の声

「ちょっと蒼? せっかく坂本君が手作りのプレゼントをくれたのだから、黙ってないでお礼を言ったら?」

 玲奈のひと言で我に返った蒼は慌てて颯太に礼を言おうとした……が、ここで大事件が起きた。蒼にとっては致命的な大事件である。

「ご、ごめん颯太君!! 私っ、プレゼントが嬉しくて! 本当に嬉し過ぎて固まっちゃってた!! ありがとう颯太君!! 本当に嬉しいよ! あと、さっきの颯太君のお父さんの話! あれも感動しちゃった! 颯太君って……思いやりのある優しい人なんだね! 私、本当に感動しちゃった!!」

 黙り込んでいた蒼の口から出た颯太に対する感謝と感動を伝える言葉の数々。高校生が友人間で礼と感動を素直に伝える言葉の数々は正に「青春の一ページ」とも言える心温まる発言なのだが、この発言は四人にとって事件である。

「えっと……三浦さん?」
「蒼ちゃん……」

「ぷっ!」
(蒼!? あなた、やっちゃったわね!)

 突然起きた事件に驚かされた颯太、朱美、玲奈の視線が蒼に突き刺さる。

「あっ、あれ? 皆……って、わ、私……あっ、その……」

 蒼が固まる。蒼ははっきりと違和感を感じた。

……何かがおかしい。

 心の中だけで呼んでいたはずの「颯太君」が今、自分の耳から自分の声ではっきりと聞こえた。起きるはずがない聴覚の刺激と、他の三人から突き刺さる疑念の視線が蒼の体温を一気に上げる。体中が熱くなり顔も真っ赤になる。正に「顔から火が出る」という状態だ。

 この状況に玲奈は必死に爆笑を堪えながらも、蒼の親友として何とか助け舟を出す。

「ぷっ……ちょっ、ちょっと蒼? 様子が変よ? ふふっ……も、もう、かき氷でお腹冷えてしまったんじゃない? あはっ……お、お手洗いにでも行って来たら?」

 蒼は、玲奈が出してくれた助け舟に満身創痍の状態で乗り込む。

「あっ、やだ、私……お、お腹、痛―い。かき氷食べすぎちゃったかなぁ……う、うん。お、お手洗い行ってこよー」

 蒼が千鳥足で手洗いに向かう。足がおぼつかない。右手と右足、左手と左足が一緒に動く。壊れかけのゼンマイ人形の様な動きで蒼がゆっくりとその場を離れていく。

(蒼ちゃん……本当にやっちゃった!? 致命的なミス! 玲奈ちゃんが心配した通りだ!)

 一帯が微妙な空気に包まれる中、颯太は不思議に思いながらも蒼を心配する。一方、朱美と玲奈は爆笑を堪えて颯太に対応する。

「えっと今、三浦さん……俺の事を『颯太君』って言ったよね? 突然だったからびっくりしたけど。でも、お腹冷えて大丈夫かな?」

「ぶっ……ふふっ」
「はっ……あはっ……」
「うん? 朱美? 森田さん?」

「あっ、ごめん、颯太。ふふっ……蒼ちゃんはきっと大丈夫だよ」
「はあ、はあ……それにしても蒼には驚いたわね。いっ、いきなり『颯太君』って呼ぶんだもの」

「うん、びっくりした。まあでも、その方が呼びやすいなら俺は構わないけど」

「颯太ならきっとそうだよね。うん、それは後で蒼ちゃんに伝えておくよ。これからは『颯太君』って呼んで良いよって」
「ああ、頼むよ」

「ところで坂本君は蒼の事を何て呼ぶのが良い? 私達、ちょうど今日そういう話をしていたのよ。『そろそろ皆あだ名とか下の名前で呼び合っても良いんじゃないか?』って」

「そうなの? 俺は三浦さんの事……『蒼さん』なら良いけど、呼び捨てはちょっとハードル高いかな。三浦さん、可愛くて凄い人気あるだろうし、いきなり下の名前を呼び捨てで呼ぶ男が現れたら学校中の男子に背中を狙われそうだし」

「ふふっ、そうかもね」
「ちょっと玲奈ちゃん! そこは否定する所!」

「でも、坂本君? ……って事はこれからは『蒼さん』なら良いの?」
「うん、三浦さんがそれで良ければ、俺はオッケーだよ」

「分かったわ。後で蒼に伝えておく。明日から二人は『颯太君』『蒼さん』の関係だって」

「よろしく、森田さん。俺も『颯太君』って呼ばれる心の準備しとくって伝えておいて。あ、でも森田さんは? これからは『玲奈さん』って呼んだ方が良い?」

「私は別に今のままで良いわよ。今の呼び方に慣れてしまったから」

「了解。じゃ、森田さんはこのままって事で。ところで三浦さん……じゃなかった、蒼さん、大丈夫かな? ずっと戻ってこないけど……?」

「蒼はきっと大丈夫よ。坂本君? 女は体調不良で苦しんでいる姿は男の子には見られたくないものだから……今日はこれで席を外してもらえる?」

「そう……だね。じゃ、蒼さんの事は二人に任せて俺は帰るよ。蒼さんによろしく」

「うんうん、いいから颯太は早く帰りなさい」
「何だよそれっ」

 朱美は颯太の背中を押し、やや強引に店から追い出す。颯太が居なくなった店内で朱美と玲奈は椅子に座って向き合った。そして堪えていた笑いを一気に噴き出す。

「ふふっ」
「あははっ」

「あははっ! ああっもう、蒼ったら! 思いっきり『颯太君!』って口から出てるじゃない!? 何が『そんな致命的なミスはしないよー!』なのよ! あはははっ、もう可笑しいっ! 苦しいー!!」

「ちょっと玲奈ちゃん! そんなに笑ったら蒼ちゃんに悪いよ! でも、あは、あははっ!! ダメっ! 私も耐えられないーっ!!」

 朱美と玲奈は腹を抱え、足をジタバタさせて爆笑する。暫くして爆笑が落ち着きを見せてきた後で、漸く二人は蒼を心配し始める。

「あー、沢山笑ったわ。さて、そろそろ蒼の様子を見に行こうかしら」
「はーっ、そうだね玲奈ちゃん」

 朱美と玲奈は手洗いに行き、蒼に声をかける。

「ちょっと蒼? 致命的なミスから回復できたかしら? 顔から火を出して倒れてない?」
「蒼ちゃん、大丈夫―?」

 声をかけられた蒼は顔がずぶ濡れだった。手洗いの洗面で高温に燃え上がった顔を鎮火していた様だ。

「朱美ちゃん、玲奈……私、私っ! やっちゃったーーっ!!」

 蒼は悲痛な叫び声と共に朱美と玲奈に飛びつく。朱美と玲奈は蒼の大きな体を受け止め、その悲痛な叫び声をなだめる様に優しく抱きしめる。

「もう! あなたと居ると本当に飽きないわね。ほらほら、自分の致命的なミスをしっかり反省しなさい?」

「ちょっと、玲奈ちゃん! それは厳しいよっ」
「あーん! 玲奈の意地悪!!」

「でも、あなたの致命的なミスのおかげで、ちゃんと奇跡も起きたのよ」
「えっ?」

 玲奈の意外なひと言に蒼が驚く。

「坂本君がね、明日から坂本君の事を『颯太君』って呼んでくれて構わないって。坂本君もあなたの事を『蒼さん』って呼んでくれるそうよ。良かったわね」
「えっ?」

 蒼は抱き飛びついていた二人から一旦離れ、朱美と玲奈の目を見て確認する。朱美と玲奈は蒼に向かって大きく頷き、それを見た蒼はまた二人に飛びつく。

「本当にっ!? 明日から『颯太君』が公認なのっ!? やったーーっ!! しかも私の事も『蒼さん』になるのねっ!? 凄―い! 致命的ミスからの大逆転! こんな奇跡が起きるなんて信じられない!!」

「良かったわね、蒼!」
「良かったね、蒼ちゃん!」
「うん!! 二人とも、ありがとぉーーーっ!!!」

「もう、あなたはここのお手洗いで何回叫ぶのよ? お店の人に迷惑でしょ? 珍客認定で入店拒否されても知らないわよ」
「ちょっと玲奈ちゃん! それ厳し過ぎ!」

 老舗の和菓子屋せんわ堂の手洗いで……今日も一人の女子高生が歓喜の叫び声をあげた。
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