夜空に咲く恋

第四十五話 夏休み

「ただいま」
「おかえり、お兄ちゃん」

 颯太は蒼の見送りを終えて帰宅し部屋に戻る。一日勉強に勤しんだ今日の成果に満足し、ふうーっと大きく息をついてベッドに横たわる。そうして何気なく部屋を見渡すと床に置かれたノートと筆記用具を発見した。朱美の忘れ物である。

(朱美、ノート忘れてるし。届けてやるか……)

 颯太は携帯を手に取り通話ボタンをタップする。一方、朱美は蒼と颯太が一緒に歩いて遠ざかっていく後ろ姿を見て、自身の中に生まれた感情を整理できず困惑の涙を流していたが、その涙も止まり漸く落ち着き始めた頃だった。腫れた目で着信音を鳴らす携帯の画面を確認し、通話ボタンをタップする。

「もしもし颯太? どうかした?」
「朱美、ノートと筆記用具を部屋に忘れただろ? 届けようと思って電話したんだ。今から行くよ」
「あっ……」

(ノート、颯太の部屋に忘れちゃった……でも今はそれより、この顔で颯太には会えないかな……)

 朱美は颯太から忘れ物を直接受け取る事を拒否する。

「ごめん颯太、今はちょっと無理かな。ポストに入れといてくれる? 後で回収するから」

 普段の二人なら直接会って忘れ物を手渡すのが当たり前なのだが、受け取りを拒否された事と、少し元気がない朱美の声を颯太は心配する。

「えっ? そう……分かった。でも、朱美……何だか元気がないみたいだけど大丈夫?」

 普段と変わらぬ颯太の声と、自分を心配してくれる颯太の優しさに朱美の心が少し軽くなる。

「ううん、何でもないよ。大丈夫。ちょっと今はタイミングが悪いだけ」
「そっか、分かった。忘れ物はポストに入れとくから」
「うん、ありがとう」

 通話を終えた朱美は、枕を優しく抱きしめて天井を仰ぐ。
 
(颯太はいつも私の事を気遣ってくれて、本当に優しいな。あ、そっか……颯太と蒼ちゃんが付き合う事になっても、私と颯太が幼馴染である事は変わらないんだ……颯太の隣に住んでいる事も変わらないんだ……蒼ちゃんならきっと『私の彼氏に声をかけないで!』なんて束縛しないだろうし。うん、そっか、そうだよね。私……颯太と離れ離れになっちゃう訳じゃないもんね。いつもの優しい颯太が隣に居てくれる事は変わらないんだ……うん、そうだよ……私、ちょっと考え過ぎてたかな……)

 朱美はいつもの様に優しい颯太の声と態度に安堵し、颯太と蒼が二人で遠ざかる後ろ姿を見て感じた颯太への喪失感は無用な心配であった……と結論付けた。

――数日が経ち、朱美達は期末考査を終えた。返却された朱美の答案に赤点の科目は無く、勉強会で数学と英語を教えてくれた颯太と蒼、また、集中して長く勉強する為に一緒に映像通話を繋げて勉強に付き合ってくれた玲奈に感謝する。

「蒼ちゃん! 颯太! 玲奈ちゃん! 私、今回は英語と数学の赤点取らなかったよ! 他の科目も赤点なし! 夏休みは補講も追試も無しだよー!」

「良かったな朱美」
「やったね朱美ちゃん! 私も朱美ちゃんの役に立てて嬉しいよ」
「村上さん、お疲れ様。これからは一人でもちゃんと集中して勉強できるようにね」

「うんうん、本当に皆には感謝だよっ、ありがとう! ……あっ、そうだ! 頑張って勉強して赤点取らなかった私にご褒美を頂戴! せんわ堂の宇治抹茶かき氷!」

 朱美はどさくさに紛れてご褒美と称して好物を要求するが、理不尽な要求はかえって三人を敵に回す。

「朱美、ちょっと待て! どっちかと言えば俺達がお礼される側だろっ! 何で俺達がご褒美与える側なんだよっ!」

「そうだよ朱美ちゃん! 私、あの日、暑い中で自転車往復一時間は大変だったなー。あーっ、そう言えば帰りは自転車を飛ばしたから汗だくだったなー」

「村上さん? 私、今日は苺ミルクの気分だわ」

「えっ? えっと……四人分の予算はちょっと……」

 ご褒美を与えられる側から、予想外に出費を負担する側にされてしまい朱美の顔が引きつる。勿論、三人の請求は冗談である。この後、四人はそれぞれ自費でせんわ堂のかき氷を堪能して楽しい時間を過ごした。また、この時蒼が言った「帰りは自転車を飛ばした」行為は、勇気を出せずに颯太へ告白する絶好の機会を逃してしまった悔しさと後悔によるものだったのだが、その真実は蒼しか知らない。

――そしてまた数日が経過し、朱美達は夏休み期間に入った。部活、時々宿題の日々を経て八月の第一土曜日となり岡崎市は歴史ある街の一大イベント「岡崎花火大会」の当日を迎えた。
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